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「…いつもより遅かったじゃないか」
談話室の一番奥のテーブル。人目を避けるように椅子に腰掛ける仏頂面の老人。頭髪は白く、痩せた体に刻まれた深い皺が周りの空気を窮屈にさせる。
「ごめんなさい、家を出る前に少し用事があったものですから」
謝る私に、岸辺さんは溜息を吐いた。
まだ結婚出来る年齢でもない私は勿論岸辺さんの妻ではない。妻である志信さんは半年前に亡くなっている。
【仕事が一番で、家には寝に帰るだけだった。子供もいなかったのに二人で出掛けた事も数えるほどしかない。きっと寂しい思いをさせてしまった】
寂しそうに笑ったあの時の岸辺さんの目には、私は誰かの孫にでも映っていたのだろう。
会話と呼ぶには短すぎるやり取りが途切れて沈黙が流れる。
岸辺さん、後悔した事を忘れてしまっては意味がないでしょう?
「…今度、ここのお庭を散歩しない?今は秋桜が咲いているから綺麗ですよ」
「秋桜は、お前の好きな花だったな」
小さすぎる呟きも、私の耳には確かに届いた。それが本当かも分からないけれど、志信さんの代わりに私はええと頷いた。
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