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136.苦労しなよ(SIDEガイア)
*****SIDE ガイア
ちょっとした好奇心なんだ。僕の半身であるティフォンが、なぜ贄の子供を気に入ったのか。ささやかな疑問から付いてきた。以前なら乱暴に追い払ったのに、ティフォンは僕に優しい。ああ、今はセティだっけ。そう呼ばないと、イシスが混乱するね。
イシスの名前は、ティフォンの妻になる神に与えられる名前だ。なのに男の子につけちゃって、いいのかな? 嫌になっても簡単に処分できなくなっちゃう。そう思ってたら、まさか神にするために僕の原始神殿まで登ってくるなんて。昔の彼なら絶対にやらない。
神になった自覚がないイシスを連れたセティは、僕に見せたことがない笑顔を向ける。生まれたときも一緒で、ずっと隣にいて……セティがあんな顔で笑うなんて知らなかった。幸せそうで良かったと思う反面、少しだけ羨ましい。僕にもこんなお嫁さんが見つかればいいのに。
山の上で寂しく閉じこもる原始神殿も、可愛いお嫁さんがいたら楽しい気がしない?
人の世界はしばらく見ない間に、ずいぶんと変貌していた。まず僕の神殿が見当たらない。ちょっと引きこもりすぎたかな? 人間の間に口伝えで残っていた僕の名は、消えてしまったみたいだ。まあ関係ないからいいけど。やたら呼ばれるのも面倒くさいし。
テン姿は危険だと言われ、仕方なく人の姿になる。少女姿は選んだわけじゃなくて、ちょうどこの年齢の外見の時に女の子だったんだ。僕は本当は女神だったからね。一度襲われかけて、慌てて男に変化したら居心地がよくてそのままにしただけ。だからこの年齢の少年姿がよく分からないんだ。
過去の僕の少女姿に、セティは隠れて笑った。くそっ、あとで何か意地悪してやるから。ゲリュオンに担がれるのも、何か気に入らないけど歩かなくていいのは便利。あ、いまだ。
「それ、美味しいの?」
紫のジュースを口にしたイシスに尋ねると、頷いてコップを差し出した。これに口を付けて間接キスしたら、セティが悔しがるだろうな。やり返すチャンスだと手を伸ばしたのに、その前に邪魔された。何も知らない無垢な子に、変な約束させるんじゃない!
イシスに悪戯して殺されかけたアトゥムは、すっかり子猫が板についた。神だった頃の記憶は封じたから仕方ないけど、完全に動物だね。顔を出して何か食べたいと強請る子猫に、イシスは魚をほぐして差し出した。初めての匂いに警戒するトムへ、自分が食べて見せるのは賢い。
この子は学んでいないから知らないだけで、馬鹿ではないのだ。そう考えながら見ていると、いきなり油で光る指先をぺろぺろと舐め始めた。幼子と言っても過言ではないイシスは、その意味を理解していない。
見た目の可愛い少年とも少女ともつかない子が、てらてらと濡れた指を咥えたり、丁寧に舐めていく。赤い舌が唇から覗いて、ひどく煽情的だった。自覚がないのって、すごい。指だけじゃなくて、手のひらも舐めてからハンカチを取り出した。
そうじゃない、ハンカチを最初から使ってよ。思わずいろいろ反応しちゃうじゃないか。しかもセティに向けられた子供のおしゃべりは、全部僕にも聞こえていた。睨みつけるセティには悪いけど、元が同じ神が分かたれた半身だから仕方ない。
聞こえてくる声は無邪気で、魚が美味しいとか、甘いとか、一般的な内容だった。なのにその仕草は美の女神より目を奪い、愛の女神より誘われる。ごくりと喉を鳴らした直後、セティにも食べさせ始めた。意外にも純朴なゲリュオンが真っ赤になって、皿を押して顔を逸らす。
目の毒ってこういうのを言うのかな。驚き過ぎて口を開けて固まっていたら、笑顔のイシスに魚を口に押し込まれた。美味しいと聞かれたら頷くけど……セティ、睨まないで。あと心の中で「殺す」ってのも冗談じゃなさそうで怖いよ。
僕の片割れは、苦難の道を選んだね。この子を手に入れるのは最上の幸せで、同時にずっと苦労が付きまとう……予言が苦手な僕でもそう思うんだから。まあいいや、せいぜい苦労しなよ。
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