テル ミー ホワイ

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 そのまま何も会話を交わさず、店を出た。駅に向かおうとすると、前にすずめが居る事に気付いた。 「……なぎちゃん」  名前を呼ぶと振り返った。 「何? 霧襠(きりまち)ひいろくん」  フルネームで名前を呼ばれた。 「声で分かりました?」 「……この前、会ったから」  すずめは八重歯を出して笑った。 「バス乗る? 電車?」  駅の方角に足を向けているので、彼女は電車なのだろうな、と思って、本当はバスだったのだけれど、送る方がいいのか考えていると、 「わたし、バスなの」  と、先を越された。 「あ、バスですか」  一緒に行けばいいのか、と周りを見回すともう方々(ほうぼう)に散っており、誰もおれらの動きに興味など向けていなかった。  スマホが震え、ポケットに手を伸ばすと、ゆらから「霧くん、電車に乗った?」と、連絡が来ていた。 「おれもバスです」  すずめに返事をすると、じゃあ、と短く頷いて彼女は歩き出した。見ていた背中に並び、スマホをポケットに押し込んだ。  歩くと白い息が上がり、行方を追うと一等星が(またた)いていた。その横に爪で引っかいたような三日月がぶら下がっている。 「あの月まで歩いていけるかな」  薄明かりの下で、八重歯を出してすずめは笑う。 「……メルヘンですね。酔ってますか?」  ノンアルコールで酔えるなんてやっぱりネジが飛んでいるのかこの人は、と(いぶか)しむ一方で、少女みたいにかわいいことを言うのか、と驚いた。 「酔ってないんだけど、冬の空気って良いよね。クリスマス、お正月、と散々盛り上がっておいて、勢いがしゅーんと無くなるの。成人式っておめでたいのに、成人以外は、別にって感じになっちゃう。あんなに盛り上がったのにもう十二年前かあ」 「冬、好きですか?」 「うん、冬が一番好き」 「そうですか。おれは春の方が好きです。あったかいし。……なぎちゃん、先生頑張っていますか」 「ぼちぼち」 「……板書は?」  おれの質問にすずめは足を止めた。 「あ、霧くんもわたしこと、やる気ない、って思ってる?」 「そうですね」 「否定してよ」 「いや、否定できませんよ。座って授業する先生なんて、おれの人生初でしたから」  ははは、と白い息に声が乗り、夜空に浮かぶ。  すずめはトレンチコートを着ているだけで、中が薄手のニットなら、寒いのではないだろうか。肩をぶるっと震わせて、両手をポケットに入れた。  来ていたチェスターコートを脱いで差し出そうとすると、すずめは振り返った。 「仕事は順調? 自動車の製造工場だよね」 「はい、順調です」 「ゆらちゃんとも順調?」 「いや、振られました」 「……ふぅん」  すずめにコートを差し出すと、彼女は八重歯を出した。 「わたし、霧くんのこと、けっこう好きだった」 「……えっと、はい。なんとなく、気づいてました」  すずめはコートを受け取り、羽織った。 「やっぱり、知ってたか」  男の子だねぇおっきい、でも、霧くんが寒いんじゃないの、と声色(こわいろ)高く続ける。 「はい、寒い、です」 「寒いよね」 「……さっき、雪、降ってましたよ」 「ふぅん」 「寒くて、息も凍ります」  はぁっと、息を吐いて見せる。 「……君の、その淡々とした感じ。いいね。若者、らしくない」 「らしくない……」 「うん、らしくない」 「はあ」 「……知ってる? 冬はね、肌と肌を重ねると気持ちいいよ」  いたずらっぽく笑うすずめの手先を、おれの服がすっぽりと隠す。 「……誘うような言葉ですね」  返事をすると、まあ、一般論だけどね、と(けむ)に巻いた。  好きだと言われて嬉しくないはずはないが、目に見えて浮かれるほど単純だと思われたくはない。肌の表面は冷たいが内側では熱を生んでいた。熱を持て余しそうな気がしたので、先は考えないようにする。  バス停まで彼女を送って、コートを返してもらい、連絡先を交換した。  ゆらには、もう電車に乗った、と、返信をする。  すずめはおれと反対の巡回バスに乗った。  去り際に手を振って別れた。  すずめの左手の薬指には、銀色の指輪が光っていた。  それなのに、簡単にあんなことが言えるなんて、寂しいんだろうな。
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