day1

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何か気持ちいい…。 そう言えば視界が真っ暗になる寸前、きらりと光る何かが見えた気がする。心配そうな、誰かの顔。 駆け寄って咄嗟に俺を支えてくれたあのひとは、一体…。 ゆっくりと意識が浮上する。 ぼやけた視界には清流みたいな銀色と、氷の結晶みたいな綺麗な水色が輝いて見えた。 頭の下にはクッションか何かが敷かれているようで、痛くはない。倒れる寸前に誰かが支えてくれたのだろうか、頭を打ったという感じもしない。 意識がはっきりしてきた頃、俺はぱちりと目を開けた。 「………う」 「…!」 「う…ん…。あれ、俺なんで…」 「………」 「………」 「え、うっ、うわぁぁぁあああっ!!!」 目を開けるとそこには、先程のユークレースの幽霊が居た。 思わず叫びながらガバリと勢い良く飛び起きると、貧血が起こったのかまたクラッとした感覚が襲ってきて俺は倒れ込んだ。 だけど頭には何の衝撃も来ない。 何故なら…。 膝枕、されているからだ。 ………何でだよ。 頭上にはどうどうと俺を宥めながらも、心配そうにじいっと覗き込んでくる不思議な存在が居た。 肩をぽんぽんと規則的に叩く手はどこまでも優しく、まるで泣いている赤ちゃんをあやしているようで。 もう片方の手は熱があるかどうかを確かめるみたいに、俺の額に置かれていた。 やっぱり温度がない。なのに。 ひやりともしないし特に柔らかいワケでもないその感触を、俺はどうしてか心地好いと感じてしまったのだ。 額に置かれた手が勝手に緩々と動いて、小動物にするみたいに俺を撫でる。俺は暫く、されるがままにその感覚を堪能していた。 風が吹いて、さわさわと木々を揺らす。遠くで子どもの遊ぶ声が聞こえる。 そうか、ここは公園か。 俺が倒れて、この近くの公園まで運んできてくれたのだろうか。 トラックのことといい、結構親切な幽霊である。 ………あ。 そこで俺はまた堂々巡りの思考を始める。 そうだよ、何で俺幽霊に膝枕されてんの?というか、何で幽霊なのに触れんの?というかというか、何で。意味の分からないことが多過ぎる。 そもそもこいつは他の人には視えていないんだよな?ならば今の俺は周囲からすればどんな状況に見えているんだろう。 空気椅子、みたいに頭を浮かしてる変な人? 前髪が風とは無関係に不自然な動きをしているやっぱり変な人では? もういいからと、額を撫で回していた白い手を掴み取った。やっぱり冷たくも温かくもない。そしてとても綺麗な手だ。 未だに心配そうな顔をする幽霊を尻目にゆっくりと上体を起こすと、温度の宿さない手で背中を支えられた。 やっぱりとても親切なやつである。 きちんとベンチに座って、まだ残る恐怖を携えながらも俺はユークレースの彼に向き直った。うん、やっぱり視える。それはもうはっきりと、本当にそこに居るみたいに。 どうして俺にしか視えないんだろう。他の人には触れもしないんだろうか。 「………あの、さ」 恐る恐る切り出すと、彼は長い髪を揺らして俺の言葉に耳を傾けようとしてくれた。その姿だけでも絵になってしまう。 涼やかな色味の彼が醸し出す雰囲気はどこか温かくて、どこまでも穏やかだ。おかげで気持ちもいくらか落ち着いて、声もちゃんと出るようになったと思う。 「さっきは逃げて…悪かった。介抱してくれて、ありがとう」 そう告げると、彼はふっと満足そうに微笑んでくれた。その笑顔にほっとする。けど。 「あの、あなたって…ゆ、ゆ、」 中々言い出せない。この奇妙な状況に順応しつつある自分がおかしく思えるけれど、それ以上におかしく親切な幽霊さんはただじいっと俺の言葉を待っているようだった。 口を気持ち大きめに開く。喉を震わせて、声にして吐き出した。 「………ゆうれい、なんですか」 沈黙。 心臓が今日はとても忙しい。さっきまでただ風だけがさわさわと木を擦らせて、この奇妙な沈黙の時間を穏やかな空間に彩ってくれていたのに。 早く何か答えて欲しい。イエスでもノーでも、どっちでもいいから。いや、出来ればノーと答えられて、どこか木の陰から「ドッキリ大成功!」の一団が現れてくれることを俺はまだ望んでいた。 しかし返ってきた答えはそのどちらでもなく。首を傾げた曖昧な反応だった。 彼は顎に手を当て、探偵のように考える仕草をしながら目を細める。分からない、ということだろうか。 それは一体どういうことなんだ。自分でも分からないなんて。というか、さっきからずうっと気になっていたことがもうひとつあるんだが。 「もしかしてアンタ、喋れないのか?」 「………」 聞くと、彼はコクコクと頷いた。この返答はイエスらしい。 何てこった。じゃあ俺はこれからこのひとらしきモノとどうやってコミュニケーションをとればいい。というかこれからがあるのか。 申し訳ないが、出来ればナシの方向でお願いしたい。 しかし事態はそう上手くはいかないようで…彼は俺の家までついてきた。この場合、憑いてきた、という表現の方が正しいのだろうか。 笑える冗談だ全く。いや実際、全然笑えないけどね。 家に帰ってから、俺は嫌というほどこのユークレースの彼の存在がこの世のものでないらしいことを突きつけられた。 家族にももちろんこいつの存在は視えてはいないのだ。 家に入るとおかえりと普通に迎えられたし、背後に当たり前のように居る超絶美形に面食いのはずの妹は見向きもしなかった。 手を洗いに洗面所に行ってもそいつは何食わぬ顔でついてきた。鏡にもはっきり姿が映っているのに本当に他の誰にも視えていないのか。 俺は帰ったらいつもゲームをするため一直線に自分の部屋に向かうのだが、わざと飲み物を取りにリビングにいる母に顔を出してみてもやはり彼には無反応だった。 そして狭い台所であわやぶつかる、というところで俺の疑問が確信に変わってしまう出来事があった。母とこいつがぶつかると思ったのも束の間、何と彼はすり抜けたのだ。 いや、何で。俺には触ってたじゃん。めちゃくちゃ触れてたじゃん?やっぱり俺以外には触れられないのか? 俺が唖然と台所の入り口で突っ立っていると、訝しげな顔をした母に心配された。 大丈夫だと取り繕って、着替えるために自室へと続く階段を上る。実際、やっぱり全然大丈夫じゃない。 部屋に入ってベッドに倒れ込むと、緩やかに頭を撫でられる感覚がして顔を上げた。 あぁやっぱり、居ますよねぇ…。 まだ具合が悪いと思われているんだろうか…。ベッドの端っこに遠慮がちに腰掛けた幽霊さんはやっぱり心配そうに俺を見下ろしている。 触れるんだよなぁ、俺には。 倒れてしまった俺を心配して家まで送ってくれた、という解釈はあまりにもポジティブすぎただろうか。 どうやら彼の目的は他にあるらしい。 成仏できないのかな。分からないけど、唯一彼のことが視えるし触れるらしい俺に懐いてしまったのかな。 何ていうか…これって大丈夫なのかな。 着替える時も、ご飯を食べている時も、お風呂の時も…。 俺に遠慮しているのかしていないのか最早分からないくらいの微妙な距離で、美形過ぎる幽霊は居た。 仕事から帰ってきた父も廊下ですれ違う…というかすり抜けていたし、俺以外には視えてすらいないことがもう確定してしまった。 出来るだけ視ないようにしていてもやっぱり気にするなという方が無理である。 たまに目が合うと、不思議なそのひとは嬉しそうにふわりと微笑んで手を振ってくれた。 その笑顔に心臓が色んな意味でもう無理ですと訴えかけてくるけれど、俺もどうしたらいいか分からない。 とにかく俺はどうやら、とても変なモノに懐かれてしまったらしい。
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