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「――っ」
あの娘だ。
本能的に理解した。息をのむ。
が、目が合うことはなかった。
眠っているのだろうか。右のこめかみにハンカチを当てたまま、苦しげに目を閉じている。
やせっぽちな体躯。
ところどころ灰色に薄汚れたブラウス、紺のスカート。
血の垂れ落ちた襟元。
頬は打ち捨てられた人形のように蒼褪めて、土埃混じりの涙の跡がある。
「……」
瑠璃子は――振り向けなかった。
それでも。
目を逸らそうとは思わなかった。
そうしてようやく。
窓に映る虚像とはいえ、彼女を目にして初めて、「怖い」と思わない自分がいるのに気がついた。
憎悪をこめてこちらを睨んだ彼女を。
わけのわからないことを口走り、石礫を投げつけた彼女を。
あれほど自分を恐怖させた存在を。
今はちっとも、おそろしいとは思わない。
「……」
瑠璃子はきっと、彼女がどうして怪我をしたのかを知っている。
そして、これからどんな目に遭うのかを知っている。
だが、声をかけようとは思わない。
今すぐ振り向いて、肩を揺さぶり、目覚めさせることもできるのに。
行ってはだめだと、今すぐ引き返してと、伝えることもできるのに。
そう、できる。
でも、しない。
できるのに、しないのだ。
「……!」
眠る少女をガラス越しに見つめながら、ぞっとして口元をおさえた。
見開いた双眸の中で、冷たい色をした瞳が揺れている。
「……」
電車は止まらない。
少女は目覚めない。
見えるものすべてが滲んで歪む。
ぼろ、と、瞳から涙がこぼれた瞬間、車窓のガラスが黒一色に塗りつぶされた。
「瑠璃子ちゃん」
「あ。……」
肩に熱い手のひらが置かれる。
知らないうちに息を止めていたらしい。気道を鋭く空気が走って、反射的に二、三度咳をした。
顔から手を外し、ゆっくりと前を見る。
眼前にあるのは、車窓ではなく、部屋を仕切るガラス戸だった。
その向こうに見えるのも、あのどこまでも続く平らな台地ではない。空も、花も草も、外側にあったすべての色彩が消え去って、殺風景なコンクリート造りの空隙だけがそこにあった。
「……」
電車の微かな遠音が聞こえる。
少し強い風が吹いたのか、奥の木戸ががたがたと音を立てた。もはやその音の方がよほど大きく響いている。
肩から手のひらが離れていった。
瑠璃子は後ろを振り仰いだ。黒い着流し姿の青年の、ただひとつの真っ黒な瞳が静かに見つめ返した。
「瑠璃子ちゃん、どうしたの。外が気になるのかい?」
「……電車の音、が。……」
「電車? ああ」
遠ざかる音を追うようにちょっと空中を見たあと、京作はすらすらと回答した。
「あれは新東澄線という短い鉄道だよ。この町には線路は通っていないけれど、風向きによっては万年青町の駅の方から聞こえてくるみたいだね」
「……新東澄線」
「うん」
「……」
「……どうかした? 瑠璃子ちゃんは鉄道に興味があるのかな」
「い、いえ。……でも、もう少し聞きたい……です、そのお話。教えてくださいますか……?」
「ふむ? ……僕もごく一般的なことしか知らないけれど、それでいいなら」
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