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 促されるまま、座卓に戻って座り込んだ。  京作は、隣の部屋から鉛筆と紙を一枚持ち出して来た。瑠璃子から見て机の右の辺にやってきて、二つの湯呑を脇に寄せ紙を置く。  彼の湯呑にはまだ白湯(さゆ)が手つかずのまま残っていた。そのことに気を取られているうちに、長い指の絡んだ鉛筆がさらさらと動き始めた。  それを目で追いかけて、瑠璃子はまたひとつ彼の一面を知ることになった。  はっとするほど美しい、お手本のような楷書体だ。「東京――香澄」と書かれている。  鉛筆は淀みなく動き続ける。「東」と「澄」だけを丸で囲んだあと、その下に改めて「東澄線」「新東澄線」と筆記された。 「東京と香澄(かすみ)を結ぶ、で、東澄(とうちょう)だね。今はうっかり地名が消えかけているけれど、このあたりは大昔、香澄荘(かすみのしょう)と呼ばれていたから……」 「……」 「最初の東澄線(とうちょうせん)は大正からあって、あとで陸軍が短いのを別に作ったんだ。それがさっき聞こえた新東澄線(しんとうちょうせん)。戦後、民間に払い下げられて、今は旅客線になっている」 「……」 「新東澄線の特徴としては、ずっと平らな台地を走るから、橋もトンネルも存在しないこと。それに、元は陸軍が演習と技術向上を兼ねて作ったものだから、線路がやたらぐにゃぐにゃと曲がっている。最短距離の倍も長いそうだ。今の持ち主が少しずつ直しているらしいが、のんびりしたものだよ。競合するような路線もないからね」  瑠璃子は返事ができなかった。  それを、まだ説明が足りないという意味だと取られたのだろう。京作は空いた場所に駅の名前をひとつずつ記していく。  香澄(かすみ)。新香澄。青瀧(あおたき)不動。音羽塚(おとわづか)弓場原(ゆみばはら)金馬(きんば)。北金馬。――  白い紙上に増えていく黒い文字を見つめながら、瑠璃子は夢で見た光景を思っていた。  雲と太陽。  黄色い花の群れ。  緑の田畑。  熱いレールの上を、曲がりくねりながら駆け抜けていく車両。  その振動に揺られながら、やがてあの黄土色の髪の少女は目を覚ますだろう。  こめかみの痛みに苛まれながら。  冷ややかな視線に刺し貫かれながら。  縋りつくように夏の道を進み続けるのだろう。  たとえその先に何が待ち受けていようとも。  どんな仕打ちを受けようとも。  心が壊れてしまったとしても。  それでも、彼女は追い求め続けるのだろう。  悪夢の終わりを。  この世にただひとりの人との再会を。…… 「――うん。たぶんこれで合っていると思う」  新東澄線(しんとうちょうせん)二四の駅名をすっかり書き終えて、京作は鉛筆を置いた。紙の端に指先を乗せ、瑠璃子のほうに滑らせながら、 「どうだろう、とりあえず新東澄線(しんとうちょうせん)について知っていることは披露したつもりだけれど。他に聞きたいことはあるかい?」  瑠璃子は両手でゆっくりと紙を持ち上げた。  端正な文字の並びを群青色の瞳でなぞる。  見覚えのある駅名、記憶を刺激する響きは、やはりひとつもない。  気づいたことはひとつだけ。  終点に向かうにつれ、鉛筆の芯が丸みを帯びて、美しい文字もほんの僅かずつ太くなっていく。ただそれだけ。 「あの」 「うん」 「これ……この紙。わたしがいただいてもいいですか?」 「ん? うん、そんなものでよければ」 「――ありがとうございます」  瑠璃子は目を伏せて微笑んだ。  紙を胸元に抱き寄せる。しわにならないよう、十分気をつけながら。  京作は困惑したように眉を下げた。 「何もそんな大事そうにしなくても。……取っておくんだったら、もっとちゃんと書けばよかったね」 「綺麗です。京作さんの字、綺麗です。とっても、とっても」 「……そう……」
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