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 歩調を落ち着かせてから、台所を通り抜けて居間に入る。  そこにあの黒い着流し姿はなかったが、すぐに見つけることができた。少し開いたガラス戸の向こう、殺風景な灰色の一番奥で、入り口の木戸を大きく開け放っているところだ。  そのガラガラという音に、すぐ側で待機しているらしいエンジン音が重なって響いていた。  ああ、と得心する。京作と(さきがけ)はここに車を入れてしまうつもりなのだ。  こんな何もないコンクリート作りの空隙だけれど、こうして見るとちょうど良い場所なのかもしれない。木戸のすぐ向こうはそう広くもない往来だし、近くに車を置けそうな場所も見受けられなかった。  瑠璃子も居間を降り、靴を履いて小走りに近寄った。真っ白な日差しを背負って京作が振り返る。 「やあ、来たかい」 「はい」 「――きれいな服だね。瑠璃子ちゃんによく似合っていると思う」 「えっ? ……」  一瞬何を言われたのか理解できず、群青色の瞳を丸くしてぽかんとしてしまった。  それと同時に、戸の開いた所から、黒い車体が勢いよく後進してきた。  反射的にそちらを向く。黒く光る金属の塊が肉薄する。  あっと思う間もなかった。  水色のワンピース。  黄土色の髪が、宙を漂うようにゆっくりと靡く。  強い風に体ごとさらわれるような心地がして――。  とん、と、ごく軽い衝撃だけが上半身を打った。  おそるおそる両目を開ける。ぶつかったのは京作の胸板で、瑠璃子は彼の腕の中にすっぽりと収まっていた。 「……!?」 「ん、ごめんね……」  つむじのすぐ上で申し訳なさそうな声がする。  痩せっぽっちの少女を包み込んだ夜闇色。その薄い生地を隔てて、熱い筋肉の緊張がふっと緩んだ。  どうやら……さっき立っていた位置が良くなかったようだ。入ってきた車にぶつかりそうになってしまった。すんでのところで、とっさに抱き寄せて助けてくれたということだろう。  呆然とする瑠璃子の両肩に手を添えたまま、京作が半歩下がる。ただひとつの黒い瞳でじっと顔を見下ろし、静かにこう口にした。 「痛いところ、ないかい」 「あ、はい……」 「……そう。……」  ふー……と長い息を吐いた。そして離れていく。まるで雛人形のお内裏様みたいに綺麗な無表情で。  足音がひとつもしない。下駄なのに。  一呼吸遅れて、その背中を目で追った。  向かった先には、黒い国産自動車が停車している。  昨晩乗せられたのと同じ型だけれど、同一のものだろうか? もしそうだとしたら、あの時割れた窓や鏡は、早くもすっかり修理を終えたということになる。  京作は瑠璃子から見て反対側、運転席の方に回り込んで行ってしまった。ちょっと屈みでもしたのか、その姿は車体に隠れてよく見えなくなる。  ドアの開く音がした。 「……親分」 「……」 「後ろにお豆腐いた、のか、そうか……。全然見ないで突っ込んじまった。すまん。完全に俺が悪い」 「……」 「すまん、もうしない、気をつける。お豆腐だけはもう絶対に一生轢かねえ。ああ……わかった。約束する。約束する。……」 「……」  ややあって、京作がカラコロ歩いて戻ってきた。
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