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――本の世界はいいわ。誰にも邪魔されず、好きなものになれる。可愛いお姫様になる自分を想像することもできるし、勇敢な戦士になってドラゴンと戦うこともできる。……空想の世界と比べて、現実ってなんて退屈でつまらないものなのかしら。
何か、楽しいことが起きればいい。天使様や、魔女、妖精か何かが自分の前に現れて、新しい世界に連れていってはくれないだろうか。
そんなことを思いながらとぼとぼと帰路についた、まさにそんな時である。
「あら」
丘を上がる道で。目の前の女性が、何やら本のようなものを落としたのが見えた。手提げ鞄から飛び出していたところ、するりと滑り落ちてしまったということなのだろう。彼女は気づく様子もなく、そのままてくてくと丘を登っていってしまう。私は慌ててそのハードカバーの分厚い赤い本を拾うと、同じく赤いドレスを着たその人の背を追いかけて声をかけたのだった。
「あの、これ!落し物です!」
「え?」
女性は驚いたように振り返った。私は目を丸くすることになる。彼女は、今まで私が見た誰よりも美しい顔をしていたからだ。
赤い瞳に、透けるように白い肌。そして明るい茶色の髪をアップにしている。目つきは少しきついが、彼女の美を損なうようなものではない。思わず見とれてしまった私は、慌てて首を振ると本を差し出した。
「す、すみません。貴女があまりに綺麗なので、ついつい見とれてしまって。その……」
初対面の相手にこのようなことを言うのは失礼だ。わかっていたが、止められなかった。
「あ、貴女は、魔女、ですか?だって人間が、こんなに綺麗だなんて思えないもの……!」
すると彼女はしばしあっけにとられたあと、弾かれたように笑い出したのだった。
「ええ、ええそうよ!私は魔女なの、よく見破ったわね、可愛いお嬢さん。流石だわ」
いたずらっ子のように笑う彼女は、多分私よりずっと年上――二十代後半くらいなのだろう。しかし、からからと楽しげに、子供のように笑う様はどこか親しみが持てるものだった。まさか本当の魔女!?と私は思わず歓声を上げてしまったものである。生まれて十二年。魔女なんて存在は、おとぎ話の中にしかいないものと思っていた。まさかこんな、自分の街からも出ることなく出会うことができるだなんて、思ってもみなかったことであるのだから。
彼女は名前を、アーリーンと言った。
その日私は彼女の家にお呼ばれして紅茶とお菓子をご馳走になり、以降たびたび彼女の元を訪れるようになるのである。
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