髪のみぞ知る

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夕暮れ時。 ここは、とあるインターネットカフェ。 一輝は、しばらくここに居座る、いわゆる「難民」である。 トイレから出てきた一輝の耳に、 「あー、もう、何このアタマ!最悪!!」 聞きたくなくても聞こえるような、女のわめき声。 少し離れたパウダールームからのようだ。 こう見えて、マナーにはちとうるさい一輝、しかも 「アタマ」と聞いて黙ってはおられず、すぐさま パウダールームに足を運ばせる。 「アタマがどうしたか知らないが、静かにわめけ!」 鏡越しに一輝と目が合ったその女は、 「ちょっと、何ドサクサまぎれにのぞいてんのよ!」 派手めのメイクにピラピラドレス、1本の乱れも許さぬ ようなぴっちりひっつめおだんご頭。 バレエか何かの舞台用かと本気で思いこんだ一輝は、 「イヤ、キレイにまとまってるじゃん、アタマ。 まぁ、どういう役演じるかにもよるけど」 と、意見を述べる。 「役?何それ。キャバ嬢に決まってんでしょ」 プッと吹き出した一輝は、小声で、 「見えねぇ…」 すかさず、女のビンタで張り倒される。 そこへ、一輝とはもうすっかり顔なじみになっている、 店員の森の声。 「どうされましたか?」 「のぞきよ!」 という女の声に、あわてた様子で飛び込んでくる森。 床に横たわる一輝の姿を見て、ますますあわてて、 「ダ、ダメですよ、一輝さん。いくら常連だからって…」 「ちげーよ、こいつがアタマ変だとか大声で言ってっから…」 「『びょういん』でも『びよういん』でも行け、と?」 と、しかめっ面した女がギャグめいたことを言うので、 一輝と森は顔を見合わせて笑った。 床で半身を起こした一輝の背中をピンヒールで蹴押しながら、 女は、 「いいから、早く出てってよ!こっちは時間ないんだから!」 「あっ、そうか、舞台か。キャバ嬢の役だっけ?」 女はいつの間にか両手を揃えて小さな紙きれを持ち、小首をかしげて いかにもな営業スマイルをつくりながら、 「り・お・でっす♪」 「リトルバニー りお」と書かれた名刺。 受け取って、フムフムとうなずきながらながめる、一輝と森。 りおは、一輝の胸ぐらをつかんで額どうしを寄せ、目を見開き、 「役じゃない!モノホンなんだよ!」 と、低い声で言った。 くるりと踵を返して再び鏡に向かい、ぴっちりと整っていた髪を 勢いよく振りほどく、りお。 その長い髪を目にした瞬間、目の色が変わった一輝は、すっくと 立ち上がり、 「ヤらせてくれ!」 「ヘンタイ!!」 またもや、りおにビンタをくらう一輝…と思いきや、寸前のところで かわす。 一輝は苦笑しながら、 「ちげーよ、アタマだよ、ア・タ・マ!」 りおは、アホみたいにポカンと口を開け、 「はぁ?」と首をかしげる。 傍らにたたずんでいた森が口をはさみ、 「そいや、一輝さん、本職スもんね。(小声で)バックレたけど」 森の頭に軽くアイアンクロウをかます一輝。 「たった今、本職にやってもらったばっかよ。 ただ、いつも担当してくれてた人が産休入っちゃってさぁ。 かわりに、すごいベテランだっていう人が出てきたんだけど…」 と事情を説明しはじめる、りお。 「なんか、わかる気がする…」 と、妙に納得した風な一輝は、りおの背後に歩み寄り、おもむろに 手ぐしでザッと髪をまとめながら、 「やっぱ、キャバ嬢たるもの、『こなれ感』出てないとね」 ヘアゴム1本で素早くまとめ上げたかと思うと、毛束をランダムに 引っ張り出しながら、 「こう、ゆるっと、ふわっと、ね!」 おくれ毛を出しながらも、きちんとまとまっている。 あっという間に、フェミニンなヘアスタイルを完成させた。 「う~ん、ちと地味めだな。あっ、森くん、ちょっとコレ貸して!」 と、鏡の前に置いてあった、一輪挿しの生花を手に取った一輝は、 りおの髪にそっと飾った。 しばらく呆気にとられて、パチパチまばたきしながら鏡の中の自分を 見つめる、りお。 ふと我に返り、後ろに向き直ると、一輝の両肩をポンポン叩きながら、 「いいじゃん!アンタ、どこのサロン?」 「だから、バックレ…」と口をはさもうとする森を制して、一輝が、 「し、修行中だよ。オレ、今、ここで暮らしてっから、なかなか 仕事決まんなくて…」 と、テキトーに濁すと、 「何?難民ってこと?昼間、何してんの?」 「日雇いとか」 「日雇いねぇ…。なんなら、ウチで雇おうか?」 「イヤイヤイヤ、ムリだよ、キャバクラなんて」 「ちがーう!アタシんちに来て、毎日アタマやってよ」 「ちょ、まっ…」 「あぁ、だいじょぶ、だいじょーぶ、、お金なら払うよ」 「っつか、そんなん自分でやれ。こんくらいなら、コツさえ つかめば、誰でもできんぞ」 りおは、鼻で笑いながら、 「それ、キャバクラに来たお客さんに『手酌で飲め』っつってる ようなもんじゃない?」 森がプッと吹き出し、笑いをこらえながら、 「ネカフェに来た客に『家でネットすりゃいいだろ』とかね」 「森くん、冗談キツイよ」 と、森を軽くにらむ一輝。 「そだ、ついでにご飯つくったり、洗濯とか掃除とかもやってよ。 昼くらいに来てさ、夜、アタシが仕事に出かけるまでの間」 「えええっ!?なんで、オレがそんな通い妻みたいなこと!」 度肝を抜かれた一輝。 森はちょっとうらやましそうに、 「いい仕事じゃないスかぁ」 いつの間にか森の手に渡っていた名刺を取り返したりおは、 裏に何か走り書きをはじめた。 「そうだなー、まず3ヶ月かなぁ」 と言いながら、再び名刺を渡す、りお。 「3ヶ月?経つとどうなる?」 名刺を受け取りながら、一輝が問うと、 「試用期間が終わります」 「試用期間?が終わるとどうなる?」 一輝が名刺を裏返すと、手書きでマンションの住所。 「本採用」 「…とは?」 「ケッコン!」 なんだか事務的な響きを漂わせ、マンションのカギらしき ものをぶらつかせながら、りおは不敵な笑みを浮かべた。
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