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「夕陽って素敵ね」
病院の屋上に車いすで連れてくると、
バアバはフェンス越しの地平線に沈むまぶしい斜陽を見てそう言った。
目は半開きで、頭は肩に預けられている。
「ずっと、この景色が見られたらいいのに」
バアバの呟きに僕は驚いた。
なぜなら、バアバは自分の望みを一切表に出さない人だったから。
僕はそれがたまらなく悔しかった。
バアバの役に立ちたかったのに、
食べたいものを聞いても、
「なんでもいいわ」
欲しいものを聞いても、
「今は特にないわ」
当時は分からなかった。
でも、今なら、
バアバがそうした理由が分かる。
孤児だった僕に負担を掛けないためだったって。
生前のおばあちゃんの口癖は、こうだった。
「人が喜ぶことを、人にしなさい」
バアバが食料に困り
僕が捕まえた、血まみれの鳩をプレゼントしたときも
バアバに吠えていた近所の犬を
僕がチョコレートを餌に、遠くに逃がしたときも
「そんなことしたら、だめ」
の後に、バアバはあの言葉を口にした。
僕が
「ごめんなさい」
と反省すると、バアバはいつも優しく微笑んでくれた。
僕はその笑顔が一番好きだった。
その笑顔を見るために、僕は怒られるのを我慢して、様々なことをした。
さらにバアバを喜ばせたかった僕は、
隙あるごとに尋ねた。
「何かしてほしいことはある?」
けれど、いつも決まって返事はこうだった。
「あなたが元気なだけで十分」
病気のせいか、朦朧とした意識からこぼれ出たバアバの願い。
叶えない訳にはいかなかった。
それから、僕は色々な方法を試した。
夕陽が煌く写真を用意して、病室の窓に張ったり。
赤色のライトを用意して、夕陽を再現したり。
でも、写真は一瞬を切り取ったものに過ぎない。
ライトに至っては偽物だ。
バアバの願いが叶ったとは到底思えない。
その傍らで僕は夕日について調べた。
なぜ夕日は赤色なのか。
どの時間帯が一番きれいか。
それで、解ったことは
赤色なのは空気中で他の色が吸収されるから、
夕陽は沈みかけが一番赤い、
ということだった。
また、地球の自転は時速1700kmのようで、
夕陽が見える場所はその速さで刻々と移動している。
先回りして、世界中を飛び回れば、
日本に留まるより、たくさんの夕陽を見ることができることも判った。
そして、工学の博士号を持つ僕はある方法を思いつく。
同時にそれを実行するための準備を始める。
そのころ、おばあちゃんは末期になり、
病院ではなく、家で暮らすことにしてもらった。
いわゆる在宅療養だ。
恍惚なバアバは一日中眠っているような感じだった。
起きるのは一日に一度、日が沈む前の一時間。
僕は毎日、バアバをベランダに連れて行った。
それから、一年が経ち、ようやく準備が整った。
さあ、バアバの願いを叶える時間だ。
時刻はちょうど18時。まさに夕暮れ時。
骨と皮だけになったバアバを乗せ、僕はスイッチを押した。
バアバはもう、何も話さなくなっていた。
設計通りに、円盤はふわりと宙に浮く。
ボディーに付けられた太陽光パネルが青く輝いている。
その瞬間、円盤は空へと吸い込まれていった。
それはだんだん小さくなって、夕陽を追って消えた。
「いってらっしゃい」
これが、バアバとの最後のお別れだった。
君もよかったら、綺麗な夕陽ばかりでなく、
その反対側にも目を向けてほしい。
そこには地平線に向かって飛び続ける円盤が、
バアバを乗せた円盤が、見えるかもしれない。
そして、それは時速1700kmで移動して、
太陽が決して地平線に沈まないように、
追いかけているはずだよ。
昼でも夜でもない、その間、
夕陽が一番真っ赤な時間を
永久にさまよっているはずだよ。
喜んでるよね、バアバ。
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