1/1
136人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

 その週の金曜日、こんなことは止めなくてはと思いつつもあの果実の味が忘れられず男の元を訪れた。  鍵を開けて入ってみても冷たいベッドがあるだけで、男の姿はなかった。  闇の中でしばらく待ってみても男が戻る事はなかった。  次の金曜日も、その次の金曜日も……。  店には相変わらず毎日のようにやって来ていた。  そして意味ありげな視線だけをよこす。  だけど金曜日の夜、男は部屋にいない。  俺との関係を終わらせたいのだろうか。では、なぜ店には来るのか。  いくら考えても答えは出なかった。  その日はあれから何度目かの金曜日だった。  今日はもう行くのは止めようと思っていた。  あの日と同じく店には俺だけが残り後片付けをしていた。  そうしてあの日と同じくドアを叩く音がした。  あの男だった。  俺は躊躇いながらもドアを開けた。  今日も酒を飲んでいるようだったが酔っ払っているようには見えなかった。 「俺……俺……キミに訊きたい事があって……」  男は俯き震える声で言った。 「――――はい」  いよいよだ、と思った。  やはり自分を抱いていたのが兄ではなく俺だと気づいてしまったのだろう。 「キミは――俺の事、性欲のはけ口にしてる、の? ただそれだけなの?」  ひゅっと喉が鳴った。 「俺はキミに抱いてもらえて嬉しかった、よ? でもキミは暗闇でないと俺の事抱いてくれないよね。それは、俺の身体がみっともない……から? 男は……ダメ? それとも……誰かの代わり、だから?」 「――――――え?」  何かが違う。  この男を抱いているのが兄ではなく俺だという事は分かっているがその事については問題にしていないようだ。  ただ俺がこの男の事を好きでもなんでもなく性欲のはけ口にしているだけだと思っている?  男の瞳が切なげに揺れている。  男の事を好きなのに。愛しているのに……。  とそこまで考えて、はっとした。  俺がこの男にしてきたことはクズもいいところだった。  愛しているのに愛も囁かず、ただその身をいいように蹂躙するのみ。  毎日顔をあわせているのに他人のふりをする。 「すみません! 俺は……あなたが兄の事を好きだって事は知っていました。だけど、あなたが、あなたの事が好きなんですっ。だからっ、いけないと分かっていたのにあなたを抱くことを止められなかった……。本当にすみません!」 「――――え? 俺の事が好き……?」 「はいっどうしようもないくらい――。気が狂いそうなくらい……っ」  男の瞳からぽろぽろと涙が零れた。 「――――嬉しい……」  小さな声だった。  それでもはっきりと聞こえたんだ。  俺は思わず男を抱きしめていた。  男も抱きしめ返してくれたがまだ不安に思う事があるようで、少しだけ躊躇っていたがいくつか質問された。 「暗闇でしか抱いてくれなかったのはどうして……?」 「兄じゃなくて俺だとバレたくなかったから……」 「じゃあ、お店で知らない顔をするのは……?」 「あなたが兄と接触してほしくなかった、から」 「――――――なぁんだ…。俺たち両想いだったんじゃないか」  そう言って笑った男に俺も不安に思っていたことをぶつけてみた。 「あなたはいつも兄と楽しそうに話してたのは? 頬を赤くさせてた」 「お兄さんキミに少し似てるよね。キミと面と向かって話すのは恥ずかしくて、お兄さんにキミの面影を見つけながら話してたんだ。ずっと、キミが好きだった。好きだよ。あの日は自分の気持ちがどうしても抑えられなくてお酒の力を借りてここへ、キミに会いに来てしまったんだ。キミがひとり残って後片付けをする事をお兄さんに聞いて知っていたからね」  なんて遠回りをしていたんだ。  お互いに好き合っていたのに兄を好きだと勘違いして、いっぱい傷つけて、悲しませてしまった。  俺は一旦男から離れて右手を差し出し頭を下げた。 「最初からやり直させて下さい。――――好きです。こんな俺でよかったら付き合ってください。ふたりで色々な所へ行きましょう。沢山たくさん光の下であなたを抱きしめさせて?」  男、小柳 誠二(こやなぎ せいじ)は俺の差し出した右手を両手でぎゅっと包んで言った。 「――――はい」  顔を上げ誠二を見つめる。  溢れる愛情。零れる涙。  今なら分かる。  あなたが好き。  キミが好き。  どちらからともなく唇が重なった。  それは優しいやさしいキスだった。 -終-
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!