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お母さんは毒親とかそんなのではぜんぜんなかったけれど、私が十二歳のときに自殺した。何故かは知らない。いろんな噂や憶測は嫌になるくらい聞かされてきたけれど、本当のことは結局わからない。ただ死にたくなったんだろう、とそれから十二年たった今、私は思う。生きていると、そんな気持ちになるときがある。私の人生はそんな気持ちとの戦いだった。
死ななかったのは、六歳下の弟がいたからだ。その弟は今年、東京の大学に合格して一人暮らしをはじめた。
良いことだ。何も不満はない。でも二十四歳の私は空っぽになった。生きていなければならない理由がなくなってしまった。
私は仕事を辞めた。二年前に祖父が死んで、住む人がいなくなった田舎の日本家屋に、わずかな着替えとパソコンを持ち込んで、ネットもつながらない環境で、今このテキストを打ち込んでいる。
何事もなければ、これはそのまま私の遺書になっていたのだと思う。
これからあなたが読むのは、何故私が死ななかったのか、その理由についての物語だ。
そしてこれは、彼についての物語だ。
電車とバスとタクシーを乗り継いで九時間かけてたどりついた、限界集落の片隅の小さな家。寿命の尽きた蛍光管が天井に二つ並んでいるのを、畳の上に横たわって眺めながら、私は暗がりのなかで鈴虫の声をぼんやりと聞いていた。寝入りかけた私を呼び起こしたのは、どさり、というかすかな低音と、そのあとの静寂だった。
雨戸をあけて、スマホのライトで庭を照らした。
人が倒れていた。
そんな馬鹿な、と思ったが、恐る恐る近づいてみると、やはり人だった。若い、多分私とあまり変わらないくらいの年代の、イケメンというのとは違うけれど、悲し気な気品みたいなものを漂わせた、ほっそりとした、何か植物的な感じのする若者だった。
暗い色のスラックスに、白いワイシャツ。固く閉じた目の上の、眉間にしわがきざまれている。苦痛に耐えている顔だった。怪我か病気なのだと、私は即座に感じ取った。
「あの、大丈夫ですか」
私は尋ねた。
彼は目を閉じたまま、苦し気な苦笑いを浮かべた。
村に医者はいない。車があったとしても、医者がいる町までは二時間以上かかる。
「肩につかまってください」
私は彼を部屋に上げることにした。抱き起こそうとして背中に触れた手が、生暖かく粘つくもので濡れた。これは動かしていいのだろうか。ためらったが、彼は自分の足で歩こうとしていた。
私は、電灯が生きているお風呂場に彼を連れて行って、シャツを脱がせた。
肩甲骨の間、背骨に並行に、縦に長い傷が二本。
「どうしたんですか、これ」
私はたずねた。浴槽の縁に腰掛け、背中を丸め、どこを見ているのかわからない顔で、彼は答えた。
「翼を切られたんだ」
だから、落ちてきたんだよ、と。
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