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どうやら彼は天使であるらしい。無論私は信じなかったが、その話を受け容れた。人間、切実な話ほど譬えや物語でしか語れないものだ。そこには、事実はなくても真実がある。
「どうしてそんなことに?」
「地上の女に愛欲の心を抱いたからだ」
なんだ、そんな話か。
誰も彼もが恋愛の話をする。そういうことは私にはわからない。恋をしてる余裕なんて、私の人生にはなかった。私は彼の物語に関心を失った。
「別にうちの庭に落ちてこなくても良かったんじゃありませんか」
そう言うと、彼は少しの間私の顔を見た。そうしてまた目をそらして、癖になっているらしいかすかな苦笑いを浮かべて、
「その通りだな。すまない」
と言った。
辞めたばかりの仕事の関係で、私は簡単な医療行為ができる。私は彼の傷を縫った。麻酔などなかったから痛かったはずだが、彼は少しも文句を言わなかった。
「人間の女と天使がやると、産まれてくる子供は巨人になるって本当ですか」
私はなけなしの聖書の知識を振りしぼった。
「巨人というのは翻訳の間違いだな。人間でも天使でもないものが産まれるのは確かだが」
「じゃあ、地上に降りてその人のところに行っても、何もできませんね」
「そもそも私の存在をその人は知らなかったわけだからな。それ以前の問題だ」
「じゃあ、片思いなんですね」
片思いなら、私もわかる。堕ちた天使という設定で語る彼の物語も、少し理解できるものになった。
「なんだろう、天国? にはもう戻れないの?」
「翼がなければ戻る方法がないよ」
彼はまたうつむいて苦笑した。その小さな苦い微笑みが、彼の痛みや悲しみなのだと、私はようやく理解した。
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