天使について

2/8
前へ
/8ページ
次へ
 どうやら彼は天使であるらしい。無論私は信じなかったが、その話を受け容れた。人間、切実な話ほど譬えや物語でしか語れないものだ。そこには、事実はなくても真実がある。 「どうしてそんなことに?」 「地上の女に愛欲の心を抱いたからだ」  なんだ、そんな話か。  誰も彼もが恋愛の話をする。そういうことは私にはわからない。恋をしてる余裕なんて、私の人生にはなかった。私は彼の物語に関心を失った。 「別にうちの庭に落ちてこなくても良かったんじゃありませんか」  そう言うと、彼は少しの間私の顔を見た。そうしてまた目をそらして、癖になっているらしいかすかな苦笑いを浮かべて、 「その通りだな。すまない」  と言った。  辞めたばかりの仕事の関係で、私は簡単な医療行為ができる。私は彼の傷を縫った。麻酔などなかったから痛かったはずだが、彼は少しも文句を言わなかった。 「人間の女と天使がやると、産まれてくる子供は巨人になるって本当ですか」  私はなけなしの聖書の知識を振りしぼった。 「巨人というのは翻訳の間違いだな。人間でも天使でもないものが産まれるのは確かだが」 「じゃあ、地上に降りてその人のところに行っても、何もできませんね」 「そもそも私の存在をその人は知らなかったわけだからな。それ以前の問題だ」 「じゃあ、片思いなんですね」  片思いなら、私もわかる。堕ちた天使という設定で語る彼の物語も、少し理解できるものになった。 「なんだろう、天国? にはもう戻れないの?」 「翼がなければ戻る方法がないよ」  彼はまたうつむいて苦笑した。その小さな苦い微笑みが、彼の痛みや悲しみなのだと、私はようやく理解した。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加