天使について

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  血中に未知の化学物質があるとかで、私の退院は引き延ばされた。その間の出来事については触れない。ただ、二週間後には私は、祖父の家に戻っていた。残してきた着替えとパソコンを取りにいくためで、変なことをしないようにと弟が監視としてついてきた。  天井に、点かない二本の蛍光灯。黄昏時の薄闇の中に横たわって、私はぼんやりとそれを眺めていた。 「やあ、調子はどうだい」  およそ天使らしくない、中途半端にビジネススーツをまとった羽根の生えた男が、縁側に腰掛けて靴を脱ぎながら私に話しかけてきた。 「あ、どうも。大丈夫です」  私はガラス戸を開けて彼を部屋に招いた。 「なんだか助けていただいたみたいで。お茶でも飲んでいってください。ちゃんとお礼させてください」  私がそう言うと、彼は寂しそうな苦笑いを浮かべて横を向いた。部屋には上がらず、縁側に腰掛けたままで、 「そういう仕事だからね。気にすることはないよ」と言った。 「知りませんでした。天使って本当にいるんですね」 「それなりに頑張ってはいるんだよ。なかなか気づいてもらえないけれどね。いつでも見ているし、いつでも呼びかけている」 「このたびは大変お世話になりました。ありがとうございます」  私がきちんと正座して頭を下げると、思わず、という感じで彼も座りなおした。でも、開け放たれたガラス戸から、中に入ってこようとはしなかった。 「お茶、飲んでいきませんか」 「いや、これで帰るよ。実は、ちょっとやらかしたばかりで、監視されてるんだ」  と彼は、上に誰かがいるみたいに、虚空を指さした。 「なんだ、私と一緒ですね」 「うん、一緒だよ」 「安心しました」 「うん」  彼は靴を履きなおし立ち上がった。何秒かの間、閉じられた私のノートパソコンを見つめていた。何かを言おうとして、思いとどまったように見えた。 「じゃあ、いずれまた」 「はい、いずれ」  そして大きな翼を羽ばたかせて、彼は黄昏の空へと帰っていった。  素晴らしい速さで、でもなめらかに静かに、彼は空のうんと高い場所に飛んでいった。    入れ違いのように、風呂に入っていた弟が、髪を拭きながら居間に入ってきた。 「どしたのさ、ガラス戸開けて。風邪ひいちま……」  言いかけて凍り付いたのは、私が泣いていたからだろう。  部屋に舞い込んだ白い羽根を抱きしめて、私は泣いた。  十二年分の涙を流しつくすために、いつまでも泣き続けた。                                   了    
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