落とし物

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 日射しは未だ強く、歩くだけで暑い。それでも、不意にすり抜けていく風は想定よりずっと強く速く、厳しさを孕む冷たさを感じる。  ふと見上げた百日紅は、いつの間にか花を落とし枯れ葉だけが残っていた。  夏を引きずっていた気分が、今ようやく一新される。世界に置いてきぼりにされたような寂しさが胸をかすめた。  またそれとは別に、夏の季節に体が馴染みきったまま、昼の明るい爽快な優しさに包まれていたつもりで、知らず知らず闇に紛れてしまってもいる。夕方の色に染まっている時間も、想定よりずっと短い。  その感覚と現実のズレが、私を容易に窮地へと追い込む。 『あ、カマッテだ』 『顔見るだけでムカつく』 『あはは、アイツ面倒だから縛っとく?』  そんな声を尻目に私は走り出した。こういうモノからは逃げるのが最良の策だ。  私がクラスメイトに“カマッテ”と呼ばれていたことは知っている。過剰に大袈裟な言動で他者の気を引こうとする“カマッテちゃん”からの呼び名だ。  しかしもう、5年生にもなってわざわざそんな名を口にするような人間は私の周りにはいない。私にマイナスの感情を持っている人やたまに陰口を言う人がいることは知っているが、およそ私のことなどいない者として扱うのが現状だ。  こんな風に聞こえよがしにザワザワと騒ぐのは、大抵オバケたちだった。私は、人が見る筈のない『オバケ』が見えてしまう。  先刻のオバケの声は、未だ響いてくる。 『逃げてく〜』 『おイかけルゥぅ?』 『つかマエテあそボぉぅ』  今日のオバケは攻撃的なタイプらしい。大抵、視線を向けず意識も逸らしてその場から離れれば、オバケも私への興味を失うのだが、今回も有効だろうか。  走る動きに合わせてランドセルの中身が上下に振られ、その揺れが私自身に重みとして返ってくる。走るタイミングに一拍遅れて伝わる振動で、バランスがうまく取れない。  それでも足は緩めなかった。  夢中で走る。  足はそれほど遅くない。  そんな私の、思い切り前後に振っていた右腕が、突然掴まれた。
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