エイス

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 依頼を正式に受け、城をでたときはすでに夕刻だった。  ラトスは、受け取った旅賃で重くなった懐に手をかけ、ふりかえる。エイスガラフ城は夕日で染まっていた。低いところは陰りはじめていて、暗くなっている。  大臣は、離れの屋敷に来た時と同様に、慌ただしく走り去っていった。  国政にたずさわる者はこうなのだろうと、ラトスはあまり気にしなかったが、老執事は丁寧に陳謝した。  必要な情報と金については、最初から老執事に全て任されていたようだった。慣れたようにとどこおりなく交渉は進み、まさにあっけなく事を終えた。 「クロニス殿」  案内人の下女の代わりに、老執事が門まで同行してくれていた。  老執事は歩く速度を少しゆるめ、ラトスの顔を見ずに声をこぼした。 「現実は、面倒で、虚しいものですな」 「……説教かな」 「いいえ。私も、この歳ですから」  そう言うと、老執事はわずかに顔を上げる。陽がかたむき、空は赤い。  つられてラトスも顔を上げた。綺麗に見えているはずの夕日と赤い空を見る。だが、その色はやはり褪せていた。かすかな赤を残して、灰色と白色に塗りつぶされている。  老執事は、しばらく黙っていた。  思えば、妹を殺した者の名を教えてほしいとラトスが口にしたとき、この老人は顔色一つ変えなかった。長く生きてきた上での経験の多さからなのか。老執事自身の心の強さからなのか。いずれかは分からなかったが、この老人の言葉には、妙に重みがあるとラトスは思った。 「この世にある多くの物語のように、人の想いが直線的で情熱的であれば、どんなに楽でしょうな」  老人らしい言葉だ。  だが、実際はその通りだ。ラトスは自分の暴力的な目的のために、清濁併せ吞んでいる。その姿はひどく滑稽に見えたのかもしれなかった。  現実は、物語のように面白くならない。 「本当に、そうだな」  ラトスは灰色の空を見上げたまま、にがい顔をした。  情熱的に生きるには、自分は少しゆがみすぎている。物心ついたころから剣をにぎっていて、成人するまで傭兵として生きてきた。妹との安らかな生活を得るために戦場をはなれ、ラングシーブになったが、結局その生活は血に塗れて消えてしまった。  やがて門にたどり着く。  門の向こう側に、先ほど言葉を交わした衛兵が直立していた。こちらが近付くと、顔を合わせることなく道を空ける。一礼し、また直立した。 「それでは、クロニス殿。宜しくお願いいたします」  老執事は深く頭を下げる。ラトスも小さく頭を下げて、応じた。 「全力は尽くそう」 「ええ。お互いに」  念押しする老執事は、目をほそくしてラトスの顔をじっと見ていた。少しの間を置いて、老執事が右手を差し出してくる。ラトスは彼の手を取り、握手を交わした。  老執事の手を見た目に反して分厚く、力強かった。  ただの執事ではないのかもしれない。ラトスは老人の顔を見ながら小さくうなずいた。老執事もまた、静かに小さくうなずいた。  復讐の、最初の準備はととのった。  ラトスは口をむすび、老人の手をはなした。  はなれた自身の手は、色褪せた夕陽によって血に塗れているように見えた。ラトスは血塗れの手をにぎって静かにひるがえり、老人と城を後にしたのだった。
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