エイス

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 やがて、下流区画にさしかかる。  下流区画というのは、俗称である。単に、裕福な者以外が居住している区画だ。そこは、エイスの城下街を東西南北につらぬく大通りからは、大きくはなれている。さらに、城壁に近いこの区域は、不便で、風通しも日当たりも悪い。  下流区画でも、古い石造りの建物をそのまま利用していた。しかし、手入れは行きとどいていない。ところどころ崩れていた。目立つほころびには、木の板などを打ち付けて補修してあった。  その光景自体は、めずらしいものではない。  どこの国にでもある、一般層以下の街の姿だ。  だが、エイスの城下街は壮麗なものと、諸国に広く知られている。栄光の裏にひそむ、見た目の差、貧富の差は、ひどく滑稽と言えた。その滑稽さが、「下流区画」と、あえてよばせたのだろう。下流という呼び名によって、街の中心のエイスガラフ城からも、裕福からも、壮麗さからも、さらに遠ざけられた場所となっていたのだった。    そこまで来て、傷の男は長く息をはきだした。  彼は、エイスの城下街の外に住んでいた。この街に来ることは、あまり好きではなかった。嫌いだと言ってもいいほどだろう。中央区画などは、お偉い王侯貴族や大金持ちたちが、我が物顔で跋扈しているのだ。息がつまる以外の何物でもない。  下流区画は、人が多い。貧しい者だけでなく、城外に勤める国の兵士たちが住んでいたり、各国から来た行商人たちの拠点になっていたりもしていた。そのため、中央区画よりも人だけは多い。  傷の男は、人が多いのも好きではなかった。 だが、自分とは生きる世界が違う人々の中にいるよりは、まだ、ここにいるほうが良い。彼は肩に入っていた力を抜くと、行き交う人々をかき分けるように歩きはじめた。先ほどの大通りと大きく違うのは、すれ違う人々が、傷の男を奇異な目で見ないことだ。それだけでなんと歩きやすいことか。  傷の男は、ただただ目をほそめて、下流区画を歩くのだった。  やがて、彼が足を向ける先に、目的地である建物が見えた。二階建ての古びた建屋だ。周囲のものにくらべれば、多少は外壁が手入れされている。  一階は、木窓も木戸も全て閉ざされていた。木戸には、小さな看板が雑に打ち付けられていた。看板には、「ラングシーブ」と刻まれている。  ラングシーブとは、各地の調査などを仕事にしている者がつどう、ギルドの名だ。探検家や冒険家などと同じと思う者もいるが、そんな綺麗なイメージの仕事をしている者は、ここにはいない。もう少し陰湿で、地味で、面倒な仕事を請け負う、一般未満の冒険者ギルドだ。  傷の男はそのギルドで仕事をする一人だった。  傷の男は、木戸に手をかけて押した。  ギイと鈍い音をたてて木戸が開く。屋内に陽の光が差しこんだ。  光が差し込んだ建屋の中は、いくつかテーブルと椅子が並んでいた。その奥には、書類だの資料だのが雑に積まれたカウンターがあった。  カウンターの奥には、受付の男がすわっていた。彼は、傷の男が建屋に入ってきたことに、すぐ気付いた。だが、外から飛び込んでくる光がうっとうしいと言わんばかりの顔をして、すぐに目をそむける。やる気なさそうに、あくびまでした。  手前のテーブルに同業者が一人、いや二人いる。そのうちの一人は、知り合いだった。身体の大きな男で、こちらを見るやニカリと笑って手をふってきた。  ラングシーブは、仕事の請負と報酬の受け取り以外では、ほとんどギルドを使わない。客との交渉事から完了の報告までは、各々が外で行うのだ。一見活気がなさそうに見えるが、人が集まっていないということは、実際は仕事が多く、みな出払っているということだった。 「待たせただろうか」  傷の男は、手を小さくあげて、大男に声をかけた。  大男は、傷の男より十歳以上は年上の男だった。  その大きな身体から返される大声は、地面がふるえそうなほどだった。傷の男は思わず上体を後ろにひいた。それを見て大男は、さらに大きな声で笑う。ついで短く挨拶してくると、親指をたててギルドの二階を指差した。  傷の男は、大男が指差した先を見て小さくうなずく。大男は、ニイと笑顔になった。そして傷の男の肩をたたくと、一方通行の世間話をしながら階段をあがりはじめた。傷の男は彼の後を追うようにして、ギイギイときしむ階段をあがっていった。  二階は、吹き抜けになっている。いくつか、テーブルと椅子がならんでいた。  木戸が、いくつか開けられていた。一階に余分な光をこぼすほど明るい。使う者があまりいない場所なので、はじのほうは、埃が雪のように積もっていた。
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