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「何か、わかったのか?」
傷の男は、無表情に言った。
大男を見据えながら、埃がつもった椅子に、ゆっくりと腰かける。
「少しな」
大男は短く返しながら、いきおいよく椅子に座る。埃が大きく舞いあがった。窓から差し込む光がそれを照らして、辺り一面を真っ白にしていく。傷の男は口元を手でおおいながら、空いた手で埃をはらうように左右にふった。
大男は、傷の男が埃をはらう様を少し愉快そうに見ていた。笑顔をつくったまま、少し目をほそめて、下の階の様子をうかがう。そして懐から、小さく折りたたまれた紙を取り出すと、傷の男にそっと差し出した。
「すまない、ミッド。ありがとう」
傷の男は紙を受け取ると、たたまれた紙をひらいて中を確認した。
そこには一行の文字がならんでいた。
≪ 黒い騎士 三人 ≫
傷の男は、ひらいた紙に書かれたその文字をじっと見つめた。紙を持つ指に、少し力が入る。彼は、無表情だった顔をゆがませた。その様子を見て、ミッドと呼ばれた大男から笑顔が消えた。
「ラトス。俺から言えることはあまり無い」
ミッドは肩を落とし、大きな身体を小さくまるめた。
「ここからは、お前次第だ」
「……ああ。わかってる」
ラトスと呼ばれた傷の男は、受け取った紙を懐に入れた。顔をゆがませたまま、ゆっくりと椅子にもたれかかる。ギイときしむ音がした。その音は、二人の間の沈黙をきわだたせた。
沈黙がつづく中、ラトスは目だけで辺りを見わたした。ミッドとはよく会っていたが、ここに来るのはひさしぶりだった。仕事もずいぶんと長い期間していないが、色気のない吹きだまりのようなこの場所が、今はなぜか居心地よく感じた。
「まだ、色は見えないのか?」
ミッドは心配そうな顔を作りながら、ラトスの目線まで上体を低くした。
「色が見えないわけじゃない。薄いだけだ」
「ああ。そう、だったか」
「そうだな。色は、まだ、褪せたままだ」
ラトスは顔をゆがませたまま言う。
埃が積もったテーブルに視線を落とした。
半年ほど前のある時から、ラトスは色があまり見えなくなっていた。
完全に色が分からないわけではない。生活に支障が出るわけでもないので、医師には診てもらっていなかった。原因は、自分で大体分かっていた。薬などの治療で治るものではないということも分かっていた。治るものだとしても、ラトスは治そうとは思っていなかった。
「あれから、ずいぶん経ったな」
「そうだな。たぶん、経ったのだろうな」
「経ったとも。本当に……」
そこまで言うと、ミッドはつづけるつもりだった言葉を飲み込んだ。ううんと唸りながら、太い腕を組む。ミッドが呑み込んだ言葉が何であるか、ラトスは分かっていた。
かつて、ラトスには一人、妹がいた。
それは、半年も前のことで、今はもう、いない。
いなくなった、その夜。
ラトスは、冷たくなった妹の身体をかかえて、声が出なくなるまで叫び、うめき、吐いた。朝になると、幾人かの友人やギルドの仲間が駆けつけた。だが、彼らは息を飲んだまま何もできなかった。その場が、あまりに凄惨な光景だったからだ。
そこは、ラトスと妹が暮らしていた小さな家だった。室内は、大いに荒らされていた。まるで強盗が入ったかのようだった。
その家の中で、ラトスの妹は、斬殺されていた。小さな身体に一撃だけ受けていて、おそらく即死であった。妹の血は、床全体に広がっていた。動かなくなった妹をかかえているラトスの身体は、妹から流れ出た血が乾いて、真っ黒に染まっていた。
ラトスは、喉がつぶれて声が出なくなっても、赤黒く染まった胸をかきむしりながらうめいていた。その、声にもならなくなったうめきに、友人の一人であるミッドだけが駆け寄ってきて、ラトスの支離滅裂な恨み言をただ黙って、ずっと聞いていた。
その時からミッドは、彼の妹の死にかかわる情報を探しつづけていた。
どんな小さなことでも、知りえたことは全て伝えてくれた。
伝える相手の顔が、日に日に生気を失っていっても、今日のこの時まで、紙切れ一枚程度の情報でも、ずっと伝えつづけてくれていたのだった。
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