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蒼い森の琥珀
国立博物館にはある女性の遺体が展示されている。松脂を全身に纏った状態で発見されたその遺体は一人の法植物学者が発見したのだが、その学者とは私のことだ。法植物学である私は、当時この耳慣れぬ職を世に広めるため、どんな難問も引き受けていた。法植物学者とは森林に埋められた死体を、植物の手掛かりから見つけ出す職業だ。我が国では毎年約十万人が行方不明になっていて、その行方不明者は遺体で見つかることが多い。遺体たちは森林の地中で発見されるのを待っているのだ。
その日踏み入ったのは蒼い森と呼ばれる樹海で、当時女性政治家が遺棄されたことで話題を集めた。その政治家は富豪の娘であり熱心な自然保護活動家として影響力があった。しかし植物への保護活動に注力するうち、ある国際機関の汚職を知るに至り、糾弾した。彼女の声は各界を揺るがし国際機関の長数人は退陣を迫られた。そしてある夜(マスコミの意見では、国際機関の手先である)数人の男の襲撃に遭った。彼女は数発の銃弾により殺害された後、この樹海へ運ばれ、埋められたが、この事件は明るみに出た。と言うのも曲がりくねったこの蒼い森は、犯人たちを捉えて数日間離さなかったからだ。偶然通り掛かった森林の管理委託業者が底なし沼の淵で動けなくなった犯人たちを発見した。森を彷徨った彼らの記憶は頼りにならず、政治家の殺害容疑は認めたが、遺体を埋めた場所は思い出せなかった。政治家の父である富豪は遺体で良いから娘に会えたらと嘆き、私は彼の涙と巨額の報酬、そして名誉欲に心を動かされた。
森の奥地に差し掛かっていた。人は遺体を森に隠す習性があり、そのため森林探索は遺体探しに付き物なのだが、森林は広大で険しく、捜索は容易ではない。私は森林が遺体探しの邪魔をするなら、その森林に遺体探しを手伝わせればいい、と思い立ち、それが法植物学の始まりとなった。例え真夜中に遺体を埋めようとも、森林に生える植物たちは敏感だ。遺体は腐敗が進むと窒素を放出し、窒素は植物の養分となる。窒素によって葉緑素の生成が促進され、葉緑素の多い植物は葉の緑が一段と濃くなる。植物だけではなく、土壌や環境の化学組成、微生物叢にも変化は現れる。さらに、遺体に敏感に反応するのは養分を吸収する能力に長けた外来種だ。このような法植物学的根拠から遺体が埋められた場所を特定することは容易いと考えていたが、進捗は捗々しくなかった。一日の大半をかけて手掛かり一つ見つけられず、濃い緑の茂みや肥沃になった土に虫が集まった場所などを掘り返しても出てくるのは猪やハクビシンの白骨に過ぎなかった。私が小さな崖を転落したのもそんな時で、数メートルの落下は突然にやってきた。衝撃によりしばらく地面に横たわり、そして痛みが体を襲った。体が動くまで優に十数分は休んでから、目眩を伴い百メートルほど歩いたが、完全に元の道を逸れてしまっていた。道無き道をカタバミやチドメグサをかき分けて歩きながら、私はふと、自分の来し方を振り返った。
そもそも植物に惹かれたきっかけは子供の頃に見た温室だった。近所の廃館に、放棄され荒れ果てた大きな温室があり、人の手から離れた植物たちが巨大化し、ついにはガラス窓を破って庭を覆い尽くしていた。私は毎日家庭教師との散歩の時間にそれを食い入るように眺めたものだった。その時私は不思議な力を感じていたのだが、それは物言わぬ植物の意志や生への執着だった。
漸く意識がはっきりし始めた頃、樹海の木々の隙間から夕明かりが漏れ始めていた。どこをどう歩いたか思い出せないが、私は開けたところに出た。そこは一目見て分かる外来種オニマツの群生地で青々と輝く葉に私の心は波立った。一本一本確かめていくうちに、その中程の根元で土がまだ湿っているのを見た。最後の陽光を背に、私は根元を掘った。数メートル掘ったところで黄金色の半透明な物質に行き当たり、その向こうに白い指が見えた。さらに掘ると、出てきたのは全身を松脂に包まれた女性の遺体だった。琥珀色の樹脂の中で政治家は永遠の眠りについていた。
私は遺体を完全に掘り出すと背負って方々歩き回り、数日後彼女を埋めた犯人らと同じく動けなくなったところを救助された。遺体は警察に回収されたが、その類稀な状態は話題となった。この件を引用した論文に私はこう書いた。遺体を養分にしてオニマツは活性化し、防腐作用のある松脂を大量に生成し遺体を包んだのだ、と。新たな証例と言う点で論文は評価され、蒼い森の遺体は神秘的な上に学究的な価値も得た。博物館に展示された遺体は人々の植物への興味と関心を呼び起こし、植物を守る運動を活発化させ、植物を守る法規制をも叶えた。植物が彼女の遺体を通して自分たちを守る法を成立させたと言えるのだろうか。いずれにせよ、この例のように植物の意思は私を引きつけ、今日も森林の奥深くへと誘う。
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