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宿屋の裏側
「今日の客は女ふたりだ。ひとりは上物。もうひとりは男っぽいが、そういうのが好みなのもいるだろ?」
峠の前の小さな村。その宿屋の亭主はいつもの通り奴隷商人と話している。
「貴族の中には変な趣味のが大勢いるから、そのあたりに売れそうかしら……」
話している奴隷商人は自分の妻だ。
この夫婦は泊まり客を見定めて、峠で山賊に襲わせている。男なら身ぐるみを剥がし、鉱山などの重労働業者へ……女なら貴族や金持ちに奴隷――いろんな意味での――として売る。こうして金を稼いでいたのだ。
自分の宿屋で事を起こさないのは、ウワサが立ちこの街道が完全に使われないことを恐れてだ。そこそこに間引きすることで、旅人が消えても山賊の仕業にして、人々には村は安全であると思わせておこうとした。
「しかし、今日は遅いな」
娘の帰りが遅いことが気になった。
彼女も手の内のひとつだ。山賊役の手下のところに誘導する役目。しかし、いつもより遅いことが亭主は気になった。
ふと宿の窓から街道のほうを見ると、娘の姿が……だが、何かおかしい。
「父さん、母さん。早く逃げて!」
「どうしたんだ!?」
娘が宿に飛び込んできた。
その背中には見覚えのある荷物を背負っている。
そうだ、あの今日のお客が背負っていた荷物だ。手下が身ぐるみを剥がして売りさばいてくるはずなのに、なぜ娘が背負わされているのか。
「おいッ逃げるな!」
先程、娘が入ってきたところから、聞き覚えのある声がしてきた。
あの客のひとり……顔は完全に見えなかったが、口は悪いが亭主は『上物』と評価を付けた金髪の女剣士の声だ。
「なんでいる!?」
「オレ達は従者がほしい。荷物持ちの……」
そして、その姿を現した。剣を抜いて自分の娘を追いかけてきたようだ。
「話が飛びすぎだ、キティ」
動こうとする三人の前に、キティと呼ばれた女剣士が立ちはだかる。
続けて短髪の女、ミアが入ってきた。手にはショート・ボウを持って。
「話は全部、娘から聞いた。お前らの犯罪に関しても……。
通常ならば見逃すことができないことだ。だが、ボク達は急ぎの旅をしている。
ここは取引と行こう」
「取引だと!?」
亭主は聞き返す。と、キティが声を上げた。
「言っただろ。オレ達は従者がほしい。荷物持ちの……」
「だったら、手下に……」
「男は信用できない。そこに適任がいるだろ」
と、キティは剣先で娘を指した。
「娘を連れて行く気なの!?」
奴隷商人の母親が、今更ながら自分の娘が連れていかれることを心配しだした。
「あんたらが今までやってきたことよりは、マシだと思うぞ」
それをキティは鼻で笑う。
「どうするんだ? ボク達が役所に言えばお前らは縛り首は確実だ」
「命が惜しくて、娘を差し出す親がいるか! それにお前らだって、役所に出ていけないだろ。こんな裏街道を使ったということは」
「なるほど、確かにそうだな――」
ミアはそれで黙ってしまった。
亭主のいうとおり、キティもミアも『駆け落ち』してこの街道を使っている。
自宅から捜索願いが出されているかもしれない。
ふたりは逃げている身なのだから、のこのこ役所には行けないだろう。
痛いところを突いた、と亭主は思っているようだが……キティのほうは、イライラとしている。まどろっこしそうにフラフラと、剣を振り回しはじめた。
そして、剣をしっかりと握り締める。誰かに斬りかかる寸前だ。
「オレは気が短い。行くのか行かないのか!」
「いっ、行きます!」
と、娘が立ち上がった。
(このままでは両親が殺される!)
娘は意を決して立ち上がったようだ。膝が震えているのが判る。
早くしろ、とキティがあごで指図した。もうどちらが悪人なのか判らない。だが、ミアは怯える娘に近づくと背負わせていた荷物を引き剥がす。
それにキティは目を丸くして驚いた。
「何するんだ、ミア!」
「キャスリン! これはボク達の旅だ。他人を巻き込んではいけない」
「――ミカエラ……」
キティは本名をいわれて静かになったようだ。そして、ミアを見つめる。彼女も彼女に言い聞かせるように見返した。
しばらく沈黙が続いた……そこに隙ができたと、奴隷商人の母親は思ったようだ。
動かないふたりは格好の標的。母親は隠し持っていたナイフを手にすると、そっとキティの後ろから近づく。ナイフの刃を彼女の背中目がけて、突き立てようとしていた。
「今いいところなんだから、邪魔するな!」
母親の小さな抵抗も空しく、キティは片腕を動かし、ばっと羽織っていたマントを広げた。
それで迫り来る母親の視覚を遮ると、覆い被さるようにナイフを奪い取ってしまった。
ミアのほうから、母親の行動が見えたらしい。彼女の瞳の中にナイフの刃がきらめいたようだ。
そして、僅かに目線が外れたことに気が付いたキティが、自分に迫り来るナイフを察知したようだ。
キティはそのまま怒りにまかせて襲うかと思えたが、急に剣を鞘にしまった。
「オレ達の旅は急がなくてはならない。今日のことは見逃してやる。
だが、ここの噂がもしオレの耳に入ることがあったら、お前らを告発する手紙を役所に送る。
オレの名前を出せば、役所はすぐに動く。
忘れるなよ、ここで真っ当に生活しろ!」
「――お前にしては寛大だな……」
「これ以上すると、君が悲しい顔をするだろ?」
「まあな……」
ミアは納得したのかニヤリと笑って応えた。
そして、宿屋家族の前に改めて立ち、こう宣言する。
「ジェインウェイ家のキャスリン様が寛大な配慮で、お前らの罪を見逃すというのだ。
しっかりこのことをかみ締めて生きて行けよ」
ミアは娘から取った背嚢を、キティに投げつけた。
「何だ!」
「今日はお前が持つ約束だ」
そういってふたりは宿屋から出ていった。
〈了〉
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