神よ我を許し給え

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 あと重要なのはEVへのシフトだ。となると、困るのが俺だよ。何しろ子供の頃からガソリン車と親しんで来たし、足車の他に趣味車としてビートを所有してるからガソリン車使用禁止なんて事態になったら本当に寂しくなる。ま、だけれどもだ、心配には及ばねえんだ。まだ10年や20年は大丈夫だろうし、その頃には俺も爺さんになってしまって車どころではなくなるかもしれんしな。  それはそうとレーシングカーも行く行くはEVになるのかな。だとすると、運転するのが楽しみなスポーツカーが自動運転車になってしまうのと同じ位、無味乾燥と言うか、随分と味気なくなり詰まらなくなるだろうな。何たってカーレース観戦の醍醐味はエキゾーストノートを楽しむことにあるからな。昔の車はそれを聴くだけで、どのメーカーか、分かったものだ。で、それぞれ個性的でいい音してたんだよなあ。その最高峰はやっぱりフェラーリだね。  芸術だよ、あの音は。ラテンの血が迸るイタリアの種馬の咆哮。と言ってもヒヒーンなんて嘶きを想像してもらっては困るぜ。そりゃあ野暮であること夥しいってなもんだ。だって、それはもう只々甲高いんじゃなくて猛獣の如く雄々しい、魂を揺るがすような限りなく痺れさせてくれる音なんだから。  芸術は科学みたいに進化しない。そんなことをマウリッツ・エッシャーは言ったけど、その通りだ。フェラーリも時代が進むと共に性能的には進化したが、音は進化したとは言えないのだ。その時代その時代でそれなりに良い音がしてたけど、燃料供給装置がキャブレターの頃が今より断然良かった。温もりがあった。味があった。野性味があった。味わいがあった。そして深かった。正にフェラーリミュージック。タルガフローリオを疾走する250GTO、あれこそが最高だった。モータリゼーション華やかなりし1960年代に生まれた珠玉のレーシングカーだ。俺が丁度、生まれた頃さ。じゃあ、何で知ってるかって言うと、子供の頃からスーパーカーブームに浸ってスーパーカーのエンジン音や排気音が聴けるレコードを聴いたりして良い音の何たるかを聞き分ける耳を養い、実際に同じラテンの血が流れるフェラーリの母たる且つプアマンズフェラーリたるアルファロメオに乗ってた俺は、カーグラフィックTVというテレビ番組やフェラーリのビデオを視聴して確かにその音の良さを聞き取っていたからだ。今ならユーチューブで視聴できるから態々ビデオを買う必要が無いのは有難い。それで言えば、聴きたい音楽もCDを買わなくても聴けるから全く結構毛だらけ猫灰だらけだよな。今時こんなこと言う奴いねえよな。それは兎も角も正直に言うと、若い頃程、ロックを聴かなくなったし、地球温暖化が叫ばれるようになってから車にのめり込めなくなったし、今は小説を書いたり読んだりするのがメインだからそんなに観たり聴いたりする訳じゃない。その代わり無料で読める青空文庫をよく利用している。
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