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scene 1.
佐野遼太郎が初めてその男に会ったのは、そろそろ桜の花が散り始めるという頃だった。
鮮やかな薄紅色の花びらが地面を覆い、見上げれば新緑が目に眩しい季節がそこまでやってきていた。
会社までの道のり、いつもの川沿いの遊歩道をゆっくりと歩く。遼太郎は季節の移り変わりをこの景色で味わうのが好きだった。
通勤ラッシュにはほど遠い時間。のんびり時間をかけて歩く道。早朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込む。
遊歩道を抜けたら大通りに出る。遼太郎が勤める会社は、大通りの信号を渡ってすぐだ。
誰もいない青信号を大股で渡り、ビルのガラス扉を抜ける。十二階建てのビルの中は、様々な業種の事務所が入っている。いわゆる雑居ビルだ。
この時間に出入りする人間はほとんどいない。遼太郎が出勤するときは、エレベーターホールはたいてい一人だった。
なので、その日その男がいたことに遼太郎は驚いた。
男の方もこんな朝早い時間に自分以外の人間が出勤してきたことに驚いたようだ。一瞬、黒髪のかかる目を見開いてこちらを見た。しかしその視線はふいっとすぐに逸らされた。
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