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吉岡のおばあちゃんは、そのまま本署に連れて行かれた。どうなるのかはわからない。
どうしてあんなことになったのか、吉岡のおばあちゃんの落とし物とは何だったのか。何となく見当はつくが、信じられない。
慌ただしかった夜が明け、まだ現場検証などが残っている家の警備をしていると、そこに武田さんが現れた。一人だった。僕は武田さんに敬礼した。武田さんは僕をじっと見つめた。
「色々聞きたそうだな」
見透かされている。
「あの、吉岡さんの落とし物って……」
「これだよ」
武田さんはスマホの画像を見せてくれた。あの時吉岡のおばあちゃんに見せたものだ。
「二十年程前だ。この家の息子は、就職の失敗から引きこもるようになった。……だが、引きこもっているだけではなかった。彼は、自分の鬱憤を両親にぶつけるようになった」
それは、親子喧嘩というものではなかった。息子は、両親に暴力を振るうようになっていたのだ。
命の危機すら感じるようになった両親は、思い余ってついに息子を殺してしまった。そしてその死体をバラバラに解体し、遠くに捨てに行ったのだ。
「二人は高速を使い、隣県の山中に遺体を捨てた。その途中で、一部を落としてしまったんだ。それが登山客に見つかり、警察に届けられたが、身元はわからなかった」
恐らく、県をまたいでいたこと、夫婦が息子の捜索願を出していなかったこと、遺体が一部しかなかったことなどの様々な要素が重なって身元不明のままになっていたのだろう。
ちなみに夫婦はその山に遺体を全部捨てたわけではなく、あちこち違った場所に少しずつ捨てていたようだ。
「そのまま、夫婦は息子のことを封印し、音信不通になったと自分達でも信じ込んでいたんだろう。……二十年も」
そんな状態で、まともに精神が保つとは思えない。旦那さんが病みついたのも、吉岡のおばあちゃんに痴呆症が出て来たのも、そのせいだったのだろうか。
「ただ、その痴呆症のせいで、過去と現在の記憶が混乱したんだな。それで、あの時落とし物をしたことが気になるようになった」
「息子さんをかたったアポ電が、引き金になったのかも知れませんね」
「殺した筈の息子が帰って来るという妄想は、それが原因だろうな。あの頃の恐怖が蘇ったんだ。そして、あの時と同じ行動を選んだ」
酒に薬物を入れて悪酔いしたところを襲うというのは、二十年前の犯行と同じ手口だろう。
二十年前の遺体は、指紋などがこの家の息子のものと一致したそうだ。事件は明るみになったが、容疑者である吉岡のおばあちゃんが認知症を患っている為、立証が難しいかも知れないという。
僕は再び、武田さんの持っている画像に目を落とした。
吉岡のおばあちゃんが落とし物として軍手を届けていたのは、まさしく自分の落とした物が頭の片隅にあったからだ。これを見て、改めて自分の罪をリアルなものとして自覚したのだろう。
スマホの画面に写し出されていたのは、切断された男の手首から先の部分だった。
☆
武田春樹は、吉岡家の建物の中に入って行った。
まだ昨夜の事件の気配が残っている。居間と食堂を兼ねているであろう和室には、血痕が残っていた。
武田は部屋の隅を視た。そこには、暗い目をしてうずくまっている男の姿があった。この姿は恐らく、この家の息子だろう。
霊能者の家系に生まれ、人に視えないものを視る能力を持つ武田にしか、この男の姿は視えない。
これは、息子本人ではない。生前の彼の鬱憤、苛立ち、ほんの少しの後悔。そしてその両親の恐怖、悔恨。この家に積もった負の〈想い〉が、息子の姿を取ってここにあるのだ。
こんなものと二十年も同居していたら、心身を病んでもおかしくはない。
武田は口の中で咒を唱えた。彼の家系に代々伝わるものだ。長年染み付いた〈想い〉が、少しずつ消えて行く。人の姿を取っていたのが、空気に溶け崩れるように。
武田はその様をじっと見つめていた。
この家の家族が本当に落とした物、拾いたかった物は、恐らく軍手でも手首でもないのだろうと武田は考えていた。
最後まで残っていたのは右の手首だった。それが消える前に、武田はその場を後にした。
手首が静かに消えて行く気配を、背に感じながら。
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