おばあちゃんの落とし物

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「落とし物をしたんですよ」  吉岡のおばあちゃんはそう言った。  それなりに中心部から離れた、何の変哲もない地方の町。それがここだ。一昔前はベッドタウンと呼ばれていたけど、今は高齢化が進んでいる。  スーパーやコンビニなどがそこそこにあるので、独居を含めた老人の世帯も多い。自然に囲まれたド田舎というわけでもなく、かといって都会というわけでもなく。どこにでもあるような、中途半端な田舎だ。  僕はそんな町で警官をしている。町の交番での勤務で、先輩達と交代で人々の暮らしを守る仕事だ。……とは言え、こんな中途半端な田舎では派手な事件なんて滅多に起こらない。町をパトロールして散歩してるお年寄りや学校帰りの小学生に挨拶されるような、平和な日々だ。  ま、僕らの出番がないのはいいことだ。そう思いながらも、僕は少々退屈な日常を過ごしていた。  吉岡のおばあちゃんは、この町のあちこちに住む独居老人の一人だ。数年前に旦那さんを亡くしてから、ずっと一人でいる。息子さんが一人いたらしいが、随分前に家を出てから音信不通だという。  少し痴呆が出ているようで、話してみると言うことが何となくあやふやだが、足取りはしっかりしている。手押し車を押しながら、そこらへんを歩き回っているのをよく見かける。  そんな姿がどことなく亡くなった自分の祖母に似ている気がして、僕は吉岡のおばあちゃんを他の町の住人よりほんの少し余計に気にかけていた。  そんな吉岡のおばあちゃんがふらりと交番にやって来たのは、先輩がパトロールに出かけ、僕が一人で留守を守っていた時のことだった。 「あれ? 吉岡さんじゃないですか。どうしました?」  僕の言葉に吉岡のおばあちゃんは少し口籠っていたが、やがてぼそりと言ったのが「落とし物をした」という冒頭の台詞だった。 「落とし物? 何を落としたんです?」  訊いてみたが、吉岡のおばあちゃんは首を振った。覚えていないらしい。 「うーん、困ったなあ……何を落としたかわからないと、探すに探せないし……」  今、特に落とし物として届けられた物はない。ここ最近落とし物を受け付けた記録もない。少し痴呆症の入っている吉岡のおばあちゃんだから最近落としたとは限らないが、落とした物が何かわからないと調べることも出来ない。  困っている僕を尻目に、吉岡のおばあちゃんは話は終わったとばかりに席を立った。 「落とし物が届けられたら、教えて下さい」  そして吉岡のおばあちゃんは、手押し車をガラガラと押しながら帰って行った。 「落とし物? 吉岡さんが?」 「先輩、心当たりありませんか?」  先輩も首をかしげた。 「いやあ、最近それらしいものはなかったなあ。吉岡さんのことだから、ここ二〜三日の話じゃないかも知れないしな」  そして先輩は少し考えた後、僕にこう命じた。 「坂田、おまえ、吉岡さんがまた来るようだったら、何か手がかりになりそうなことを聞き込んどけ。話し相手になるだけでも、何か思い出すかも知れないしな」 「わかりました」  元より、僕もそのつもりだった。  吉岡のおばあちゃんは、何日もしないうちにまた交番にやって来た。前と同じように、自分の落とし物はないかと言う。  しかし、やはりそれらしい落とし物の届けはなく、何を落としたのかは言ってくれなかった。  僕は何とかして手がかりだけでも聞き出そうとあれこれ尋ねてみたが、どうにも手応えがない。ただ、あまり関係のない世間話をしている時に、吉岡のおばあちゃんはぼそりと言った。 「息子から、連絡が来たんですよ」 「息子さん?」  吉岡のおばあちゃんの息子さんと言えば、もう二十年近く音信不通だった筈だ。 「そうか、良かったね、吉岡さん」  息子さんも年を取って、親に会いたくなったのかも知れない。僕はそう思ったのだが、吉岡のおばあちゃんは少し浮かない顔をしていた。 「戻って来るんでしょうか、忠志は……」  忠志さんというのか、息子さんは。随分離れていたから、吉岡のおばあちゃんも少し不安なのだろう。 「きっと戻って来ますよ。親子なんだから」  僕が言うと、吉岡のおばあちゃんは黙って交番を出て行った。手押し車を押す後ろ姿は、妙に小さく見えた。  次の日。吉岡のおばあちゃんは、またやって来た。 「落ちていました」  と僕に差し出したのは、軍手の片方だ。 「落ちて……って、これは」 「道に、落ちていました。落とし物です」  落とし物と言うよりゴミなのでは、と思うけど、一応預かることにする。  ついでのように吉岡のおばあちゃんは自分の落とし物のことを訊いて来たけど、やはりこの軍手以外の落とし物はなかった。  本当に落とし物なんてしたのか?とちらりと思うけれど、それを口に出すことは出来なかった。
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