「またね」と言わずに「すきだ」と言った、ほんの少しのさよなら時

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 壮が近所をひと周りして最後に足を運んだのは、近所の外れにある公園だった。  年中遊ぶ場所ではないけれど、どうしてか壮はこの公園が好きだった。  心地好い雰囲気を胸いっぱいに吸い込んだら、ベンチにちんまりと座っている雫が居た。先ほど、みんなと一緒に帰ったはずだった。 「なにしてるの、お前」  近寄ってもぼんやりと気付かない雫のとなりに腰を下ろしながら壮が声をかけると、雫がはっとしたような顔をした。 「なんで壮君が居るの?」  嬉しいのか悲しいのか判別できないような声で雫が言った。 「なんでって、それはこっちの台詞。早く帰らないとおばさんが心配するだろ」  ついつい壮がため息を吐いたら、雫がむっと睨んできた。 「なんだよ」 「壮君のばか!」 「藪から棒になんなんだよ!」 「壮君はわかってない!」 「だからなにがだ!」  ああ最後が雫と喧嘩かあと思うと、壮は無性に寂しさを覚えた。明日は早朝に出発するから、本当にこれが最後である。  こういう時、お互い譲らないから、最後に雫が泣き喚く。  雫はいつも壮にわがままを言っては彼を怒らせて、「壮君の意地悪!」と泣き喚く。そうして更に壮を怒らせる。  ところが雫はなにも反論してこなかった。  言葉を失くしたように俯いた。  壮から引越しの件を伝えられた時、雫は素敵な思いやりだと笑顔を向けた。「おじいちゃんもおじさんも、幸せだね、きっと」」と自分ごとのように嬉しそうな表情を浮かべ、「お空でおじさん、きっと笑ってる」と言った。  その時、雫は寂しいという言葉を一度も使わなかった。離れることが寂しいと言わなかった。  失くしたものがもう戻らないと知った直後のことだ。永遠なんてないと知っている。悲しくて苦しい不安の塊を知っている。だからなによりも周りの幸せを優先する雫は、壮の大切な人にはいつも笑顔で居てほしいと願う気持ちが嬉しかった。  寂しく思っている自分にまるで気付いていなかった。  最後にみんなで遊んで「またね」と明日もまた遊ぶように別れたら、急に寂しさと悲しさが襲ってきた。恐れも抱いた。  永遠なんてないから、本当はもう二度と会えないのかもしれない。  帰りたくなくてやって来た壮の好むこの公園でベンチにぼうと座りながら、壮の選択は嬉しいと思うのに悲しいとも思う相反する気持ちを持て余していた。  壮は雫が泣くのを堪えていることに気が付いた。肩が俄かに震えている。  居なくなってほしくない、行かないでとわがままを言ってしまいそうで、雫はぐっといろんな気持ちを言葉にしないように堪えた。今にも嗚咽が込み上げてきそうだ。必死に必死に飲み込もうとしていた。わがままも泣くのも、きっと壮を困らせてしまう。最後なのだから困らせたくない。 「ねえ、雫。俺さちゃんと戻ってくるんだよ。少しの間居なくなるだけ。少しの間、会えなくなるだけ」  そう言葉を口にしたら、壮は自分の気持ちに苦しくなってきてしまった。破天荒な雫を守ってあげられなくなる切なさや、いつも雫がくれる嬉しいが遠くに行ってしまう寂しさなど、一気にさまざまな思いが込み上げてきてしまった。  けれど、壮は悠然を装うことができた。  父の容態が悪くなって後、雫はずっと壮から離れなかった。自分の特別な人のとなりを離れて、ずっと壮のそばに居た。お葬式が終わるまで。親戚が一人っ子のはずの壮に実は妹がいたのかと勘違いするほどに。  大切な人を守りつづけたい。特別な雫がそうしてくれたように。寄り添いつづけてくれた雫が居たから、壮は強くいることができた。
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