サジュ王国・魔獣討伐編

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医療棟というのは、なんとなく病院のようなイメージを持っていていいのだろうか。王城側の廊下は渡り廊下といったふうで、両端に並ぶ大きな窓ガラスから入り込む日光が美しい。もうしばらく歩くと、医療棟の内部に入ったのか少し広い間隔でドアが並んでいる。 お屋敷で忙しく動き回る治療班を見ていて、きっと医療棟というのもバタバタしているのだろうと思ったがひどく静かだ。人の気配もなく、おれの足音だけが静かに響く。 「……ねえ」 不意に背後から声をかけられた。一人で歩いているとばかり思っていたおれは大げさなほど肩を揺らして、勢いよく振り返った。振り向いた先には、プラチナブロンドを一つに括った美丈夫が立っている。 「驚かせて悪いな。ちょっと、困っててさ」 「あ、いえ、こちらこそ、驚き過ぎました。申し訳ないです」 「ちょっと探しものをしてて、君さえよければ私を助けてほしいんだけど」 こちらの警戒を分かっているのか、ある程度の距離を保ったまま話を続ける。柔和な態度の男は、よく見ると身につけているもの全てが高価なものだ。素人目にもそう分かるほど仕立てのいい服を着ているし、華美ではないもののさりげなく胸元を飾る繊細で精巧な金細工も価値の高いものだろう。 王城からこちらへ向かっていることも考えると、きっと身分の高い人物なのだろうと推測する。一応は騎士団の一員となった今、どんな相手か分からない以上は失礼のないように断るのが最善ではないだろうか。 「申し訳ございません。任命式にいらっしゃらなかった第七部隊長にご挨拶に伺うよう、騎士団長からのご指示を受けております」 「――へえ、君、第七部隊に所属するんだ。じゃあ、なおのこと君がいい。部隊長には私から伝えておくからさ」 「え!? で、でも」 「私の言うことが聞けない? 何もいじめようっていうんじゃないし、いいじゃん」 できるだけ丁寧に、と繕った言動は男によって早々に崩された。保たれていた距離を長い脚で詰めると、そのままおれの手を取ったのだ。 王都についてすぐヴェナートさんにもらった言葉がふと蘇り、手を振り払おうと抵抗するが解けない。すらりとした見た目からは想像ができないほど、男の力は強かったようだ。 「そんな警戒するなって。お嫁さん探してるだけだから、協力してくれよ」 「お、お嫁さん……?」 「そう。そこまで怪訝そうな顔するなら、あのへんでいっか。あんま暴れないで」 「ちょっと、……うわ!」 足を止めた男の口から飛び出た「お嫁さん」という言葉につい顔をしかめてしまう。それを見て拗ねたような表情をした男は、強くおれの手を引いた。突然のことに対応できず、そのまま男の方に倒れ込む。男はよろけることもなく、おれを抱えてすぐ近くの部屋に入った。 「よいしょっと」 転がされた先は大きなベッドだった。室内は白を基調に清潔感のある内装で、まさしく医療棟に相応しいと思える部屋だ。 突然のことに驚きながら、程よい硬さのベッドの上で身を起こす。男が部屋の鍵を閉めるガチャンという音が響いた。逃げ場を失ったことに焦る一方で、おれの前にゆっくり戻ってきた男はのんびりとしている。 座り込んだままのおれを正面から観察するようにじっと見つめてくる。居心地が悪く身を隠したくなるほどの視線から逃れるように目を伏せた。それでも不躾な視線が外れることはない。 「うーん。小さいし、顔は普通だけど……君はどんな魔法が得意なんだ?」 「えっ、と、」 「浄化とか得意じゃない?」 ものすごく失礼なことを言われた気がしたが、小さいのも顔が普通なのも事実だ。文句が飛び出そうなところをぐっと堪えて得意な魔法について思考を巡らせるも、何も浮かばない。そもそも、魔法そのものが得意ではない。 「あの、魔法を人並み程度に扱えるようになったのが、わりと最近なので」 「模索中ってところか。でも治癒魔法はできるんだろ?」 「はあ……ちょっとした傷を治すくらいしかできませんが」 「ふうん?」 ちらりと男を窺うと目を眇めておれを見ていて、なぜか信じてもらえていないようだった。ひとまず放り投げられたベッドの上に立ち上がろうとしたおれの肩を男が掴んだ。 「何ですか……?」 「騎士団長から推薦を受けておいて、そんなことないだろ」 おれから視線を外さないまま、男もベッドに乗り上げてくる。後ずさろうとして肩に置かれたままの手に阻まれた。男は戸惑うおれの顔を両手で包むように固定すると、少し上を向かせるようにして至近距離からまじまじと見ている。 セルジールさんは何もおれの顔で決めたわけではないだろう。廊下で声をかけてからずっと観察するような視線を寄越す男に、そろそろ解放してくれないかと言いたくなる。 「……おれに可能性を感じたんじゃないですか。知りませんけど」 「はは、君、なんでそんなに投げやりなんだ? まあ、ちょっと試させてくれよ」 「試すってなにを……っんん!?」 流れるように自然な動作で男の顔が近付き、唇が重ねられた。男の両手によって顔を逸らせず、その両手を外そうと手首を掴むがびくともしない。 ぎゅっと閉じた唇を男の舌がなぞる。絶対に開けないぞ、と思いながら更に力を込めてささやかな抵抗を続けていると舌が離れていった。ほっとしたのも束の間、男は自らの唇でおれの上唇を柔らかく食んだ。 初めての感覚にぞわりと背筋が震える。無意識のうちに瞑っていた目を見開くと、楽しそうに細められた目と視線がかち合った。そこに揶揄いの色はなく、単純におれの反応を見ているようだ。 「んー、開けてくれないんだ? 仕方ないなあ」 「……?」 諦めたように笑って少し離れた顔に力を抜く。おれの頬に添えられていた両手のうち片手が離された。何とか引き剥がそうと掴んだままだった手首から手を離す。 「はは、無防備だな、君は」 「え、うあっ」 おれの頬に残されたままだった男の手がするりと動き、かけられた言葉に思わず開いた唇を親指がなぞった。あやしい動きに慌てて閉じようとした唇を割り開くように親指が口内に潜り込む。 振り払おうとして、再び男の両手に頬を捕らえられた。嬉しそうなどこかワクワクとしたようすの男の顔が近付き、躊躇なく唇を重ねられ舌が侵入する。かわりに親指が引き抜かれ、入り込んだ舌はおれの口内を蹂躙し始めた。 「っふ、ン、んっ、んんう……っ!」 ぐちゅぐちゅと舌を絡ませたり、上顎をなぞったり、縦横無尽に動き回る男の舌に翻弄される。じわりと甘い痺れが広がっていき、なんとか唇を閉じようとしていた力も抜けてしまった。口の端から唾液が零れ、顎を伝い首筋をたどっていく。 なんとか酸素を取り込もうとしていると、不意に悪寒が走った。男のキスは無理矢理におれの性感を引き出し高めようとする動きなのに、なぜか気持ち悪い。それは生理的な嫌悪感とも違っていて、男の胸を強く叩いた。 「んんーっ、う、んっ、はあっ、ンむ、うう……!」 すぐには解放されず、その間はずっと毒を流し込まれているようだった。気持ちよさからではなく、少しずつ広がる快感に混ざった苦しさに涙が滲む。 「……ふ、はは、どう? 苦しい?」 今度こそ男の顔が離れた。添えられたままの両手は宥めるように頬を撫で、ついに零れてしまった涙を拭う。苦しい。体の内から蝕まれていくような感覚に寒気すらする。 「ぁ、あ……、はあっ、これ、なんですか……っ」 「大丈夫だから、浄化してみてほしいんだけど」 「はあ!? 浄化って、なに、」 「今、君の中に入り込んだ悪いものを、こう、パーッと消す! みたいな感じ?」 「もう、わけ、わかんな……っ、あ、はあっ……」 軽い口調ながら心配そうに覗き込む男は、恐らくおれが「浄化」に失敗すれば自分でどうにかする算段はあるのだろう。案ずるように頬をさすり続ける手は優しく、今はその体温に縋りたかった。 できる限り深く呼吸をして、そっと男の両手におれの手を重ねる。落ち着かせようとすればするほど涙が溢れ、世の中にこんなにどうしようもなく苦しいことがあるのかと暴れだしたくなるのをぐっと堪えた。 目を閉じて、想像したのは何となく黒い靄だった。おれの体を覆い、内側から蝕むその黒い靄を強い光で「パーッと消す」ようなイメージを頭に浮かべてみる。想像の中で必死に黒い靄を払い続け、男の言うような「パーッと消す」には至らなかったものの少しずつ苦痛が和らいでいくのを感じた。 「へえ、すごいじゃん」 「ん、うう……消せ、ました……?」 「上出来だ」 涙でぼやけた視界の向こう、男は満足そうに笑っている。ずっと顔が固定されているのが辛くて、自分の手をおろすついでに男の手を剥ぎ取った。 男はベッドから下りると近くの棚から布を取り出し戻ってきた。ぐしゃぐしゃになったおれの顔を取り出した清潔そうな布で拭っていく。 「やっぱり浄化できるんだ、君」 「知りません。さっきのが初めてでした。それより、本当に、何なんですか? お嫁さん探してるんじゃなかったんですか?」 「ああ、そうそう。やっぱり君に声をかけてよかった」 ぐったりとしたおれを労わるように背中をぽんぽんと叩きながら、男はおれの顔を覗き込んでくる。出会ってからずっと興味深そうに見つめていた視線は、なぜか宝物を見つけたときのように輝いたものに変わっていた。 浄化というのはそれほど価値のある能力なのだろうか、だとしてもそこまでこだわる理由がなんだろうか。そう考えていると、男の口から信じられない言葉が飛び出した。 「君、私のお嫁さんになってくれないか」
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