We're Buddies!~藤の乙女は諦めない

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 無言でチョコレート味のコーンフレークをちびちびと口に運んでいる風佳の髪を結いながら、実佳は妹が月に何回かの不機嫌モードになっていることを悟った。 (暴れないでいてくれればいいんだけどな…。)  やだやだ、保育園いやだ、と活きのいいマグロのように暴れる風佳を小脇に抱えて歩くのは、なかなかの重労働だった。また、誘拐犯に見られやしないかと、心配でもあった。  ピンクの小さな花が付いたゴムでツインテールを完成させた所で、恵美がガチャリ、とリビングのドアを開けて入ってきた。 「おはようございまーす!」  明るく、爽やかな笑顔を振りまきながら風佳の元へと近づき、「おはよう、風佳。あら、いいわねえー。おねえちゃんにやってもらって」と、ツインテールを手で軽くしごいた後、台所へと向かって行った。 「風(ふう)ちゃん、そろそろ歯磨こっか。」  妹の顔を覗きこんでみたが、相変わらずぶすくれたまま、リング状のチョコレートフレークをいつずつ口に入れている。  こんな所でぐずぐずしている場合ではなかった。実佳には、妹を保育園に送り届けつつ、自身も登校しなければならないというミッションがある。 「風ちゃん、歯ブラシ、持ってくるね。」  風佳の頭を優しくなで、実佳は洗面所へと向かった。  洗面所の引き戸をがらり、と開けると、男の丸い背中に衝突しそうになった。ギョッとして急ブレーキをかけると、前髪まで濡らした清彦が振り向いた。 「あ、おはよう。使う?」 「あ、いえ、その、風ちゃんの歯ブラシを…。あ、あの、おはようございます…。」 「ああ、はい、これね。」  水滴を垂らさないようにするためか、清彦は腰をかがめたままごそごそと動き、今度は振り返らずに腕だけ回して、「はい」と風佳用の小さな歯ブラシと子供用歯磨き粉を手渡した。 「ありがとうございます…。」  フェードアウトしながら礼を言いつつ、実佳は後ろ歩きで洗面所から脱出した。  いつまでたっても、慣れない。清彦は年齢よりも若く見えるため、「父親」という言葉がしっくりと来ない。どちらかというと、お兄ちゃんという呼称が似合いそうだ。 (せめてもっとおじさんか、老けて見える人だったら良かったのになあ。)  母親の好みにため息をつく実佳だった。  右手は実佳と繋ぎ、左手ではお気に入りのウサギのぬいぐるみをしっかりと握りしめながら、不機嫌風佳は口をへの字にしたままむっつりと黙っていた。  小さな妹の気に入らないことが何か分からないまま、実佳は風佳の手を引き、保育園へと向かっていた。  少しでも機嫌が直れば、と、今日はいくつかある保育園へのルートのうちのひとつを歩いている。路地をいくつも曲がると、木立の奥に芝生のある公園の脇に出た。 「風ちゃん、木がいっぱいだねえ。」  左手にブランコが2つ見えている。帰りはここで遊んでみるのもいいかもな、などと思っていた時だった。 「実佳ちゃん、あれなに?」 「ん?」  風佳の指さす方を見ると、2人組で走っている人達が視界に入った。ボールらしきものを投げ合っている。よくよく見れば、それは楕円形のボールだった。 「あー、ラグビーボール、かな?」 「らぐびーぼーる?」 「ホラ、テレビでやってたでしょ。来年、日本でワールドカップがあるとか…。」 「ラグビーって何?」 「何って…。」  筋骨隆々の屈強な男達ががっしりとぶつかりあって、広い芝生を走って行って、飛びこむように地面にボールを叩きつけるスポーツ、か?  実佳にはそれぐらいしか知識がない。それを、この小さな妹にどう説明したら良いか。 「えーとね、ラグビーっていうのは、男の人が…。」 「あの人、女の人だよ。」  風佳の指先を見れば、確かに男にしては細身に見えた。よくよく見れば、ひとつに結った長い髪の毛が走る度に左右に揺れていて、胸があるのも確認できた。  その女性が伸ばした腕を、ボールがすり抜けた。点々と転がるボールを追い、襟付きのシャツを身にまとった女性がこちらに近づくと…。 「えっ?」  その顔は見知った顔だった。同じクラスの学級委員長、大杉(おおすぎ)あずさに間違いなかった。  あずさは実佳の顔を一瞬見たが、すぐボールに目線を移し、素早く拾い上げた後、もう一度実加を見た、ように思えた。  ぽかん、と立つ姉の手をぐいぐいと引き、「ねえ、ねえ、ふうちゃんも、あれやりたい」と、風佳は、ボールを持って走り去るあずさの後ろ姿をぬいぐるみで指し示した。  その声と手にハッと我に返った実佳は、「また今度ね」と言いながら、名残惜しそうな風佳の手を引き、歩を早め、保育園へと向かって行った。 「ホラホラ、あと10分で予鈴だよーん。」  スマホの画面で字が見えなくなった。持ち主の腕を掴み、「うざい」と、ぐいっと押しのけ、実佳は再びガリガリとノートにシャープペンを走らせた。 「ホント、真面目ちゃんだねえ、みっくは。」  押しのけられた腕をくるりと回し、佐藤(さとう)樹里(じゅり)亜(あ)は「あと8ふーん」と、時刻お知らせ係を繰り返す。 「しょうがないだろ、家で出来ないんだから。」  学校から帰る途中で風佳を保育園からピックアップし、買い物をしつつ帰宅。洗濯だけは母親が干して行くので、それを取りこんで片づけ。軽く掃除をすれば、もう晩御飯の支度をする時間だ。作り置きをしてはいるが、味噌汁を作ったり、朝誰かが大量にご飯を食べてしまっていたら、夜も炊かねばならない。 風佳の習い事がある日は、相手をしなくても済むが、そうでない日は、風佳の世話もしなくてはならない。 「ママは何してるわけ?」 「レストランホール。」  ノートから目を離さずに、実佳は答えた。最後の文字を書き終え、「終わった―!」と両腕を伸ばし、ガッツポーズ。 「大変だねー、アンタも。」  腕を伸ばしたまま、実佳は樹里亜を見た。プロテイン入りの紙パック飲料をじゅじゅーっとストローで吸い上げ、スマホの画面を見ていた樹里亜に、ふと今朝見た光景について話したくなった。 「あのさー、今日…。」 「おはよう。」  言いかけた時、あずさが教室に入って来た。いつも早いあずさが、今日は予鈴ぎりぎりだった。当たり前だが、ラグビージャージは着ていない。実佳の視線に気付いたのか、あずさは実佳に顔を向け、にこりと微笑んだ。  その笑顔に、同じ女ながらドキッとしてしまう。 「何固まってんだ?…って、ああ、委員長か。」  大杉あずさは、2-Cのクラス委員長をやっている。クラス委員長は推薦や立候補による投票制で決まるが、他のクラスの委員長が男子ばかりな中、2-Cのみは唯一、女子のあずさが委員長を務めていた。それも、圧倒的な得票で。 「なんか、去年も完全勝利で委員長になったらしいよ。」  中学校では生徒会副会長を務め、教師と何度も交渉して学校改革に携わり、校風を大きく変えた、「影の生徒会長」というふたつ名が付いていたらしい。  そのたぐいまれな、と言っていいくらいの美貌とスタイルで委員長の座を勝ち取ったのかと思われていたが、実行力も折り紙つきで、昨年委員長を務めたクラスでは、体育祭も文化祭も強固な結束力と盛り上がりで学年一番だったという。 「美人な上に、上に立つ力もあって、おまけにスポーツも万能らしいぜ。」  それはここ数カ月の短期間でも証明されたことだった。世の中には、こんな完璧な人がいるものか、と驚き、住む世界の違う人間だとしか思えなかった。そう思っているのは実佳だけではないようで、彼女のことを名前で呼ぶ人は少なく、多少畏敬の念を持ちつつ、「委員長」と呼ぶ者が多かった。 「で?今日どうしたって?。」  樹里亜が実佳に話を促した時、予鈴が鳴った。 「おっと、予鈴だ。」  腹筋を使って素早く立ちあがった樹里亜は、「あー、今日の限、宮ジイかよー」と、ぶうぶう言いながら自席に戻って行った。
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