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茜色の空が薄墨のような紫色の雲におおわれつつある。
掃除しても掃除してもそのそばから枯れ葉がひらひらと舞い落ちる…そんな季節だ。
私は参道の端を、落ち葉を蹴り散らしながら、地下鉄の駅に向かって歩いている。
一番外側の鳥居をくぐって一礼した直後、左手の薬指が目に入った。米粒のようなダイヤが、夕日の名残のように弱々しく光っている。
内側の刻印を確かめようと、私はそれを引き抜いた。
瞬間、乾いた指先から滑り落ちた指輪は、落ち葉の中に沈んだ。
秋の日はつるべ落とし。雲は紫色から灰色に、刻々と変化している。
なぜ今、なぜここで、私は指輪を引き抜いたのか? 文字が読み取れるはずもないのに。
どうしよう。見つかったなら彼は戻ってくると、願かけする?
それとも、忘れて前に進みなさいというお告げ?
お参りの前、私は空港にいた。海外に赴任する(元)彼を見送るため。本人に気付かれないようこっそりと。
密を避けなくてはならない昨今では、人波にまぎれてというのがなかなか難しかったけど、出来たと思う。
彼がゲートをくぐった後、搭乗する便名のプレートが最上段から消えていくのを見届けて、空港を去った。
つながりは解けてしまっているのだろう。空しさのような諦めのような気持ちを抱えて地下鉄に乗った。
コロナ禍で延期に次ぐ延期の後、ようやく決まった彼の海外勤務。最初に内示がでたとき、一緒に来てくれないかと言われた、そしてそうするはずだったのに。
在宅勤務を含めた生活習慣の急激な変化で、私たちの関係も変わってしまった。
虚空を見つめるかのように乗降口上の表示を見ていると、二つ先の駅名にハッとした。駅名は神社の名前と同じだ。
お参りしようと決めて、下車した。
鳥居をくぐり、手と口を清めようと入手水舎に向かった。水をたたえているはずのそこは空っぽで柄杓もなくなっていた。拝殿の鈴緒も鈴ごと撤収されている。
コロナの影響はこんなところにもあるのか。
手持ちの除菌シートで手だけ清めて参拝する。
賽銭を入れ二礼二拍手。やっぱり鈴がないのは物足りない。このご時世、仕方ない。
……で、この場合何を願うのが正しいのだろう。彼の無事? 帰って来ますように? 私のところへ? それともこの国へ?
考えあぐねて結局「ありがとうございます」とつぶやいて一礼した。
黄昏時に指輪を落とすなんて。
そういえば、夕方のお参りはNGなんだっけ? 今ごろ思い出した。途中下車の前に思い出せばいいのに。
おみくじを引いたことも思い出した。大吉だったらキープするつもりだったけど、結果は小吉。すぐに枝にくくりつけた。
内容は一ヶ所だけ覚えている。「失物…見つかる。高いところ」
指輪落としたのよ、高いところになんか、ない。
「あ、でも」
失物じゃなくて失者なら高いところだ。彼は今、機上の人だもの。もっともすぐに「高いところ」から「遠いところ」の人になるんだけど。
探すべきかしら。
這いつくばって落ち葉を掻きまわしている自分と、それを見ながら足早に通り過ぎる周囲の視線を想像する…。
探すべきじゃないのかしら。
たたずむうちに、空も足元も漆黒に染まろうとしている。
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