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プロローグ
僕がまだ子供だった頃、迷子になったことがある。誰にだって迷子になった例はあるのかもしれないが、僕もその中の一人だったといっても過言ではない。
都会の雪まつりに行こうなどと言わなければ、防げていたのかもしれない。でも。たとえそれが無かったとしても、人間はいずれ迷子になる。人混みの中でも、人生においても。結局のところ、それらはどう抵抗しようとも逃れられない宿命なのだ。
人混みがより激しくなり、僕を繋いでいた手が解れて消えた。僕は波に流された漂着物のようにあれよあれよと距離は離れていき、やがて見えなくなった。ようやく人混みから抜け出した時、待っていたのは孤独だった。
涙は流れなかった。それどころか自然と行くべき場所へ行こうと決意していた。
僕は人の流れに沿って歩き始める。厚着をした多くの群衆。皆似たり寄ったりの服装だ。でも、それはどこかちぐはぐに見えている。でも、一つだけそうは見えないものがある。
雪を固めて造られた大きな雪像の前に一人の少年の姿が見えた。濃紺のダウンジャケットを着た僕と背丈が同じくらいの少年。彼はくるりとこちらを振り向き、短く囁いた。
「こっちにおいでよ」
少年は短髪で、パーマでもかけたように髪が所々丸まっていた。後になってあの少年は生まれついての髪質。つまり天然パーマだったのだろうと推測する。濃紺のダウンジャケットに合わない臙脂色のマフラーを首に巻き、黄色の耳当てを頭に付けている。僕の足取りは不思議と彼のところへ進んでいき、少年の横に並んだ。
「綺麗な雪像だよ」
大雪像は二人の少女を形作っていて、一人は北海道の形をしたギターを。もう一人はいたって普通の形をしたギターを持ち、楽しそうな表情をしている。周囲からは喧しいぐらいのロック・ミュージックがかかっていて、雑踏の動きがなければ顔をしかめていただろう。そんなロック・ミュージックに対して彼は嬉しそうにステップを踏む。
「この雪像、パパが作ったの」
へえ、と僕は感心する。かなり大きな雪像。僕たちよりも高くそびえるこの雪まつりの象徴だ。
「お父さん一人で?」
「違うよ。パパと仲間たちと力合わせて完成させたんだ」
少年はくすくす笑い、僕は何故か少しばかり恥ずかしくなった。
それからしばらくの間二人で様々な話をした。でも、覚えているのは話をしたことだけだ。どこに住んでいるのかも、名前も親の所在も、考え得ること全てを話したはずなのに、何故かそのことが頭から抜け落ちていた。
今年、僕は大学へ進学する。
これから語る物語は決してフィクションなんかではない。大学生活の間で芽生えた感情は数多くある。葛藤、懊悩、素懐、邪心。あらゆる感情を詰めた物語は決して奇跡なんかでは語れない。その少ない感情のいくつかのエピソードをここで語ろうと思う。
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