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1話 揺らめく炎
それは炎が揺らめいているようだった。
夜中にふと目が覚めた。夏だったので開けっ放しになっていた窓から、温い風が入ってくる。侵入した風は、うっすらと汗ばんだ首筋の産毛を撫で上げた。
何故起きてしまったのか、とハッキリしない頭で考えて、尿意があるのに気付く。億劫なのを堪えて、階下のトイレに向かった。
用を足した時にはすっかり目が冴えてしまって、はたしてもう一度眠れるだろうか、などと考える。
寝汗で張り付くシャツを扇ぎながら、階段にある二階廊下の電気を点けた。すると、L字に折れた階段の踊り場に、上から薄ぼんやりとした影が伸びているのが見える。
影は人の背丈程もあり、左右にゆっくりと揺れていた。まるで蝋燭に灯った火が、空気の流れに揺らめいているような動きだった。影は立ち去るでもなく、かといって階段を降りてくるでもなく、ずっとその場に佇んでいる。
姉もトイレに起きて来たのだろうか。なら何故、降りてこないのだろう。寝ぼけているのか。階段でぼうっとするなんて危ないなあ。うっかり足でも踏み外したらどうするんだ。
いや。
姉は友達の家に泊まりに行っているのではなかったか。そうだ。今日は二階には自分一人だったはずだ。
では、この影は誰のものだーー
影はなおも階段で揺れ動いている。
俺は身動きできずにその場で固まっていたが、思い切って階段を勢い良く駆け上がった。
夜中だから嫌な想像をしてしまっただけだ。きっとしょうもないオチがあるに決まっている。そう自分に言い聞かせ、目をつむって踊り場まで来た。
深く息を吸い込んで目を開くと、二階へ続く階段が伸びている。そこには何の姿もない。
「ほら、みたことか」
誰にともなくつぶやき、何気なく視線を頭上に向けると、女がこちらを見下ろしていた。
土気色の顔にある充血した目は、今にも飛び出しそうな程見開かれている。口からはだらしなく舌が出ていた。それが縄で首が絞められているせいだと気付いたのは、空中で爪先が揺れていたからだ。
首吊りしている女だった。
動転した俺は後退しようとしてしまった。しかし、後ろに床などなく、足を踏み外した俺は階段を転げ落ちる。
意識が戻ると両親が俺を覗き込んでいた。ものすごい音に驚いて目を覚ましたらしい。
俺は廊下に倒れていた体を起こすと、慌てて階段を見てみた。しかし、そこに女の姿はなくなっている。
心底ほっとしている俺に、それどうしたのと母が指差してきた。言われて、首に違和感を覚える。
洗面所に向かい、鏡に映り込んだものを見た俺は息を飲む。
鏡の中には、首回りに赤い痣のある俺がいた。
まるで、縄で絞められているようだった。
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