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4話 口笛
ちょうど忘年会のシーズンだった。
その日、私の会社も飲み会があり、帰りが午前を過ぎてしまった。
私は寝静まった住宅街を千鳥足で歩いている。駅でタクシーを拾うこともできたが、飲み会が続いて懐が寂しかったので、酔い覚ましも兼ねて家まで歩くことにしたのだ。
またカミさんに怒られるなあ、などとブツブツつぶやきながらアスファルトの道を進む。
冬の空気が火照った顔を冷やして心地よい。
どの家もすでに眠りについているので、明かりとなるのは点在している電燈だけだ。
自分の覚束ない足音を聞きながら、早く布団にもぐりこみたいと家を目指す。
やっぱりタクシーを頼めばよかったかなと後悔し始めた時、前方を人が歩いているのに気がついた。
黒いロングコートを着た男で、同色の帽子を被っている。かすかに頭を左右に揺らしながら歩いているので、私と同じ飲み会帰りなのだと思った。
耳をすませれば口笛が聞こえてくる。前方の男からだ。
ずいぶんとご機嫌だなあ。
酔いも手伝って愉快な気分になってきた。
口笛は何かの曲を吹いているわけではないようだった。お世辞にも上手いとは言いがたい。リズムも抑揚もなく、ただヒューヒューという音がするのみである。隙間風のようなその口笛で、冬の夜道を余計に寒々しく感じた。
男は遠目でも大柄なのが分かる。立ち並ぶ電燈と比較してみて、軽く180cmは超えているのが見て取れた。歩幅も大きくすぐに距離が開きそうなのだが、一定の間隔を開けたまま私たちは歩いている。
いや、逆に近付いているような気もした。
男の歩みが遅いのだろう。
男の姿がより明瞭になってくる。
ふいに男が電燈の下で立ち止まった。思わず私は速度を弱める。上機嫌で口笛を吹いているのを聞いてしまい、それが相手にバレることが何となく気まずかったのだ。
青白い光に照らされている男の影は濃い。直立不動で突っ立っている男の、頭だけはふらふらと揺れ動いている。木枯しのような口笛はまだ聞こえていた。
あの男はいったい何をしているのだろう。具合が悪くなった風でもないのに。
だんだんと不信感が湧いてきて、愉快な気分は萎んでいった。このまま進めば男に追いついてしまう。道路は一本道で、脇道にそれることもできない。男が振り返ったのは、いっそ走って男を追い越そうかと考えた時だった。
男を正面から見据えて、私は自分が勘違いしていたことを知る。
口笛などではなかった。男の首はザックリと真一文字に裂けていて、そこから空気が漏れている音だったのだ。
男が呼吸をするたびに裂けた首からヒューヒューと音が鳴り、かろうじて繋がっている頭が揺れる。
私は絶叫すると、来た道を全力で戻った。
背後から隙間風のような音が聞こえた気がして、到底振り返ることなどできなかった。
それ以来、あの道は絶対に通らなくなった。
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