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6話 電話
居間でテレビを眺めていた時、電話が鳴った。近くにいるのは私と、台所で食器洗いをしている母だけである。
「ちょっと出てくれない」
母に言われてしぶしぶ立ち上がる。
受話器を持ち上げ、もしもしと声をかけた。
しかし、相手は黙ったままでうんともすんとも言わない。電波でも悪いのかともしもしと繰り返すが、一向に反応がなかった。
仕方なく受話器を置こうとした時、かぼそく「ごめんなさい」という男の声がした。
え、と聞き返すのに構わず相手は電話を切ってしまう。なんなのよ、と私はつぶやいた。
「誰だった?」
台所の母が訊ねてきたので受話器を戻しながら、ただの悪戯電話と答える。
それからしばらくはこの日のことを忘れていた。思い出したのは、再び電話がかかってきた時である。
受話器を取り呼びかけるが応答はなく、切ろうとすると「ごめんなさい」とくぐもった低い声が聞こえてきた。かと思うと、いきなり電話を切られてしまう。
ツーツーと音がもれる受話器を見つめて、そういえば前にも同じことがあったと思い出したのだ。
ただの悪戯だとは思うが気持ち悪い。強いて深く考えないようにした。
だが、悪戯電話は度々かかってきた。決まって私が取った時にだけかかってきて、ほかの家族は一度もこの不審な電話に出たことがないという。それが、さらに気持ち悪かった。
何度目かの電話がかかってきた時だ。私はいい加減我慢できずに、強い口調で相手を怒鳴った。
「何なのあんた! 誰なのよ!」
すると、男はいつもと同じく「ごめんなさい」と繰り返し、ヒヒッと引きつった声をもらす。不快なそれは笑い声であった。
バカにして!
頭に血が上った私はもう一度、相手を怒鳴りつけようとした。しかし、受話器の向こうから男の声以外の音が聞こえた気がして、怒声を飲み込む。
私が聞き耳を立てると、ガタガタンッという物音の後に年配の女性の苛立ったうめきがした。
「いったあい」
心臓がドキリと跳ねる。さらに耳をすますと女性は、ああもうっと溜息をついた。その声に嫌な汗がじわりとにじむ。全神経を集中させた耳に、男の引き笑いが入ってきた。
「ごめんなさああい」
うなじの産毛がそそけ立ち、わたしは乱暴に受話器を置いた。熱いものを触った時のようにバッと手を電話から離す。
バクバクうるさい胸を押さえていると、二階から母が私を呼んだ。でも私は動けない。
しばらくすると、しびれを切らした母が降りてきた。
「もう、いるんじゃない。返事してよ。棚から箱が落ちてきて大変だったんだから」
頭に当たって痛かったのよ、と文句を言う母を私は緩慢に振り返った。
「お母さん、いま、誰かと一緒だった?」
私の異変には気付かずに、母は首を傾げる。
「ずっと一人だったわよ」
そう答える母の声は、受話器から聞こえた女性のものと同じだった。
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