おばけ人間が来た!!

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 ハロウィンの夜というのは、子どもにとっては貴重な夜だ。なんせ、普段はママにこっぴどく叱られる夜の徘徊が許され、今日の日のための特別な衣装を身にまとって、さらにはお菓子までもらえてしまうのだ。なんて素晴らしいイベントだろう。ビバ・ハロウィン・ナイト。  なんてね、そういうのが理想ですけど、最近は何かと物騒だし。仮装して街を練り歩く子どもの姿なんてきょうび全く目にしません。悲しいけどこれ、治安のためには仕方ないことなのよね。私も身の安全には替えられないと思うし、表通りから子どものはしゃぐ声が聞こえないことに関してしみったれた感情を抱くほど子ども好きでもない。ええ、だから突然の来訪者に大いに驚きましたとも。秋の夜長に一人寂しく酒をあおる独身女に何用だってね。 「とりく、おあ、とりと」 「……」  インターホンで相手を確かめることもせずガチャリとドアを開けると、私の腰くらいまでしかないシーツの塊がくぐもった鳴き声を上げた。ほんとに何用だよ。まさかこの令和の時代にこんなコテコテのおばけ人間が現れるとはね。世間の荒波に揉まれまくって擦れた大人をびっくりさせる方法を分かりきってるじゃないか。おばけとして大物になれるぜ。人間としては知らないけど。てか誰だ。私に子どもの知り合いなんていないぞ。親御さん……は、もしかして周辺にいないのか。とりく、おあ、とりと、と舌足らずな決まり文句を繰り返しているお化けの子をひとまずスルーしてドアの向こうを見渡す。それらしい人影はない。まだ人通りが活発な時間帯とはいえ、この子一人で来させたのか。何らかの事件に巻き込まれたらどうするんだ。まったく、最近の親は責任感が希薄で困るよ、とペットさえ飼ったことがない私が言うのもお門違いか。  見知らぬ子の見知らぬ親に呆れていると、こつ、と膝小僧に硬いものが当てられる。足元を見ると、まだ諦めていないらしいおばけ人間がシーツに隠された短い両腕でカボチャ型のこれまた小さな入れ物をぐいぐいと私に押し付けているのである。おいおい、托鉢でもここまで押しが強くないぞ。もしかして日頃からろくにお菓子ももらえていないのだろうか、かわいそうに。  ふと、思い出す。昨日の夜のことだ。私とは違って家庭を持つ姉から、娘がハロウィンの「アレ」をやってみたいと言って聞かないので、明日の夜こちらに訪ねてくると電話口で言ってなかったか。私はニヤリと口の端を吊り上げた。なあるほど、このおばけ人間がそうか。てっきり魔女っ子とかそういう感じで来ると思っていたが、シーツ渡してこれでお化けと言い張れだなんて姉も安上がりだな。それに気づいたら目の前のやたら辛抱強い白ダルマもいくらか愛らしく見えてきて、ちょっと待っててな、と告げ、ワンルームの狭い自室に戻る。そして自分用のおつまみのカゴの中からおやつカルパスをひと掴みして、おばけちゃんが持つ小さな入れ物に無造作に突っ込んでやった。あの姪っ子は私が酒盛りしていると、必ずこれをねだってくるのだ。 「好きでしょ、これ。今日はハロウィンだし、いっぱいあげるよ」 「……」 「大事に食べるんだよ」  頭をひと撫でしてやると、恥ずかしそうに身をよじるのが可愛らしかった。白おばけはペコリと小さくお辞儀をして、カルパスで満たされたカボチャの入れ物を胸に大事そうに抱え、てててっと街灯が並ぶ歩道の方へ駆け出していった。 「じゃあね、あかりちゃん。姉ちゃんによろしくねえ」  小さな背中にそう呼びかけると、顔をくるりとこちらに向け(ていたかどうかはシーツに覆われて見えなかったので推測だが)、「あい」と女の子の声で返事をよこし、そのまま闇に消えていった。さて、おばけが退散していったところで、姉には一つくらい文句を言ってやらないと気が済まない。テーブルの上に置きっぱなしにしていたスマホの電源を入れて、あれ、と思った。ほかでもないその姉から、不在着信が入っていたのだ。まったく気づかなかった。すぐに発信する。 「あ、姉ちゃん?」 「『あ』じゃないよ、何やってたの、電話にも出ないで」 「……ええと」 「あー、いい、いい、言わなくて。そんなことよりね、今日あんたんとこ行くって言ってたじゃない、あれ、行けなくなったから」 「え?」  何を言っているのだろう、行けなくなったも何も、たった今応対したばっかりなのに。私の返事を不満からきたものだと捉えたのか、姉は「しょうがないじゃん、あかりが熱出しちゃったんだから」と続けた。その言葉に私の頭の中はさらに「?」で埋め尽くされる。 「姉ちゃん何言ってんの、あかりちゃん、ついさっきこっちに来てお菓子せびってきたんだけど」 「あんたこそ何言ってるかわかんないんだけど。昼からずっとこっちで寝てんのよ、あかりは」  最後の方は声が遠くなって、代わりに「ひかるおねえちゃん?」と聞き慣れた女の子の声が聞こえてきた。鼻が詰まって苦しそうだが、確かにあかりちゃんの声だった。私はにわかに背筋が冷えていくのを感じた。じゃあ、さっきの子は誰だったんだ? あかりちゃん、と呼ばれて否定しなかったあの子は? 「で? ひかる、何が来たって?」 「……おばけ人間?」 「飲み過ぎよ」  ため息を一つつかれた後、あんたも風邪には気をつけなさいよ、じゃあね、と一方的に通話を切られた。つけっぱなしのバラエティ番組の耳障りな笑い声が遠い。すっかり酔いの醒めた頭で、さっきのシーツの妖怪のことを思い出す。そして、私は……、 「……おつまみ、買いに行こ」 とりあえず、飲みなおすことにした。
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