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姑獲鳥の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
日本橋を北に進み小伝馬町へ向かう途中の、とある町内。
ここに一本の橋が架かっていた。それほど大きい橋ではなく、水路を渡るのに迂回する手間を省くための簡素なものだった。橋には名前があるのであろうが、その名前もいつ作られたのかも、近所の者は誰も知らない。
この橋のある町内で、ある一人の女が子供を身籠った。
年は十六、七。去年に祝言を挙げたばかりの夫婦であったので、親戚一同が喜んでいた。
十月十日が経った頃、女はいよいよ産気付いた。が、どうも様子がおかしい。
突然苦しみだして額には尋常ではないほどの脂汗をかいている。産婆も全力を尽くし、亭主は神にも仏にも縋った。
しかしその甲斐空しく、女は赤ん坊もろとも帰らぬ人となった。
さてそれから数日。町内に奇妙な噂が立った。
先に述べた橋に、夜になると赤子を抱いた女の化物が現れるのだという。
その化物は橋の中ほど辺りまで進むと「もし」と声を掛けてくる。それが人でない事は容易に知れる。女は欄干の向こう側の空中に立っているからである。
大抵の者はその時点で悲鳴を上げて逃げ出すが、中には「なんだ」と聞き返す豪胆な者もあった。
「先日のこの町内で赤子を産み損ない死んだ哀れな女でございます。私の命なんぞは毛ほども惜しくありません。しかし道連れにしてしまった我が子が不憫でなりません。この子の来世の為に念仏を百篇唱えてやりたいのですが、子を抱いていたままでは手を合わせられません。どうか、私が念仏を唱えている間、この子を抱いていてはくれませんか」
これが化物の言い分であった。
とある識者は過去の言い伝えから、この化物を『姑獲鳥』と呼んだ。
憐れに思った何人かの男は、それが言う通りに赤子を預かった。
暖かくも冷たくもない不思議な温度だったという。
始めのうちは、それこそ普通の赤ん坊と同じくらいの重さなのだが、不思議なことに女が念仏を一つ唱えるたびに倍々に体重が増えていく。やがて抱えていられない程の重さになっても、今度は手を放すことができなくなるそうだ。やがてそのまま重さに耐えきれずに気絶すると、翌朝に通りすがりの近所の住人らに助けられる。こんな事が何回か続いた。
命を取られた者こそいないが、気味悪がって徐々に人が寄り付かなくなる。そうなると困ったのはそこで商いをしている商人たちであった。
三日三晩続けて寄合が開かれたが、アアデモナイシコウデモナイと時間がだけが過ぎていくばかりだった。
さて、いよいよ打つ手がなくなるかと思われた。
が、その時。
一人の男が声を上げて立ち上がった。
「試しに私がその赤子を抱きに行ってみましょう」
勇気ある申し出であったが、人々から漏れたのは落胆と心配の声であった。
それも無理もないことだ。力自慢の屈強な大男であるならいざ知らず、立ち上がったのは、モヤシの方が太く見えるほどの細く色の白い珠算の先生だったのだ。
仮に江井先生としておこう。
江井先生は周囲の止める声も聞き入れず件の橋へと向かった。
何人かはすぐに助けられるようにと彼の後ろについて行った。
そして噂通り、橋の半ばで江井先生は声をかけられた。
「もし」
事の次第を知っていた江井先生は、姑獲鳥の話を聞き終えると言うが早いか子供をしっかりと預かった。
姑獲鳥はそのまま手を合わせて念仏を唱え始めた。
ここまでは何人かの男たちが体験した通りである。
ところが、待てど暮らせど赤ん坊は一向に重くならないではないか。
やがて念仏を唱え終わった女は、満足した面持ちで江井先生にお礼を言った。すると赤ん坊共々、とけるように消え失せてしまった。
まるで近所を散歩でもしてきたかのように江井先生が戻ってきたところで、様子を見ていた数人は我に返った。
「何ともないんですか」
「ええ。ご覧の通り」
「何で先生が抱いたら何ともなかったんでしょう」
「あれは難産が原因で亡くなった女の化物でしょう。それなら私の出番かと思ったんです」
「一体どういう訳で」
「ご存じでしょうが、私は算盤を教えておりますからね。アンザンは得意なんですよ」
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