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報酬の効果
がま口の落とし主は、1週間後に現れた。
拾得物の情報は、書類が受理された翌々日の午前10時に、県警のHPに載る決まりだ。現金の場合、金額の詳細は記載しない。だが、がま口の特徴から問い合わせがあり、当交番に取りに来ると連絡があった。
遺失者は、ジョギングを日課にしている70代の男性だった。公園で水を飲んだ後、タオルを取り出した時にスウェットのポケットから落ちたらしい。諦めていたところ、孫がスマホでネット上の拾得物情報を調べてくれたそうだ。奥様が付けてくれた二枚貝の根付けが決め手になり、本人確認の手続きを経て、がま口を返却した。
拾得者が小学生の姉妹だと伝えると、酷く感激し、お菓子を買ってお礼するのだと言いながら笑顔で帰ったそうだ。
「良かったですねぇ」
非番交代の引き継ぎで、先輩巡査長から昨日の話を聞いて、私まで嬉しくなった。小さな親切が、遺失者も拾得者も笑顔にした。その橋渡しとしてお役に立てることが、この激務の癒しであることは間違いない。
「まぁな……」
勤務を終えて東警察署に戻る堤先輩は、微妙な表情を返した。多分、夜勤明けの疲労のせいだろう。そう思って、追及はしなかった。
-*-*-*-
2ヶ月程経った夕方、入口のドアに小さな陰が見えた。
「あのぅ……」
カラリと開いた隙間から覗き込んできたのは、門倉姉妹の琴葉ちゃんだった。
「あら、こんにちは。今日は1人なの?」
コクンと頷くと、彼女は室内に入って来た。その手に、男物の革靴がある。
「これ、落ちてました」
「えっ」
「シマクラの隣のイレブンの前に、落ちてました」
シマクラは3丁目にある衣料品店だ。その隣の角に、確かにイレブンセブンのコンビニがある。
「とりあえず、座って」
話を聞くと、コンビニの駐車場に靴だけが落ちていたのだという。
「あー、時々あるのよねぇ。車に乗る時に、忘れちゃう人」
書類に書き込みながら、苦笑いする。土足禁止とか気取ったことを言う男に限って、ケロッと靴を忘れる。今頃、車内用のサンダルかスリッパで途方に暮れていることだろう。
こういう場合、脱いだ場所を思い出して回収に来ることもある。だから、見つけた場合は、そのコンビニに預けるという選択肢もある。交番勤務の警察官は、巡回連絡で地域を回る際、コンビニやスーパーなど立ち寄り所がある。この時、落としものの情報は共有されるのだ。むしろ、落とし主がすぐに取りに来た場合、交番を介さずに店の者とやり取りした方が、書類などの煩わしい手続きが無くて良いのだが。
まぁ、難しいことを小3に言っても仕方ない。私は、必要事項を記入すると、日付と署名をもらって、控えの紙を渡した。
「3ヶ月経って、落とした人が見つからなかったら、この靴は琴葉ちゃんのものになるけれど……もし要らなかったら、警察で捨てることも出来るから、安心してね」
分かりやすく噛み砕いたつもりだけど、彼女はポカンとしている。
「電話するまで、この紙を無くさないでね」
「はぁい」
パイプ椅子を降りると、彼女は少しこちらを見ていた。
「じゃあ……あ」
何か言いたげにずっと見上げているのは、前回飴のご褒美をあげたからだろう。引出の中には、イチゴ飴が残っていた。1つ取り出して「はい、内緒よ」と微笑むと、パアッと笑顔を溢した。その表情が無邪気で可愛らしいと思う反面、これはまずいかもしれないと薄々気づき始めていた。
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