4人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
04.琴
「七七八、七七八、七八九八」
「なんの暗号ですか?」
桜を見上げながら呟くマスターの背中に声をなげかける。
この人と別れてから半年、落ち葉は満開の桜になった。
「琴だ。知らないか?」
マスターが振り返る。以前と同じ顔で。
「番号どおりに弾いていけば、さくらさくらになるんだ。妹が、習っていたんでね」
「妹さんがいらっしゃるんですね」
「ああ。長らく会っていないが」
「会わないようにしている、ではなく?」
マスターは軽く肩を竦めた。
「今は少し頼りないけど優しい旦那と、可愛い子供がいるんだ。化け物の兄貴なんていない方がいいだろ?」
なんでもないことのように言う。
「化け物を止めに来てくれたんだろ、黒衣の騎士」
笑う。やっぱり傷跡のせいで、半分泣いてるみたいな顔で。
この半年の間にも化け物たちは各地で暴れ、僕はそれを退治しながら鍛えてきた。四天王と呼ばれる、知能も比較的しっかりした化け物を退治し、導かれたのがここだった。
認めたくないけれど、完全にマスターはラスボスの立ち位置だ。
「昼間はまだマシなんだ。でも、夜になるともう完全に俺の自我はなくなる。完全に魔神となる前に、殺してくれ」
「マスターの中に、魔神とやらがいることは聞きました。でも、どうにか元に戻る方法は!」
「ないよ。お前に出会う前からもう何年も探してきた。そんなものない。それが答えだ」
ひらひらと、桜の花びらが舞う。綺麗に。悲しく。
「昔の俺は、魔神を倒した。その血を浴びて、俺は半分化け物になった。なんとか押さえ込んでやってきたけど、あの時の地割れで無理だった。地獄の力がのしかかってきて……仕方なく、俺を倒してくれる騎士を探したんだ」
すっとマスターが僕を指さす。
「なぁ、ケン。悪かったな、騙してここまで来させて。どうにも俺自身で死ぬことはできなくてな」
「騙されたとかは、いいんです」
驚いたけど、悲しかったけど、マスターのおかげでここまで生きてこられたのは事実だから。
受け入れらるかは別だが。
でも、受け入れなければいけない。マスターのなかの魔神が完全に復活する前に。
「ごめんな」
マスターはずっと笑ってる。
どんな気持ちで、自分を殺す騎士を育ててきたのだろうか。
多分、そこにあるのはマスターの愛だったのだろう。人間に対する愛と、責任感。
その人間に対する愛と、責任はマスターから教わってきた。僕は、騎士だから。
マスターの意志を守る。
日が落ちてきた。
マスターの影が変化していく。
頭にツノが。背中に羽が。口には牙が。
僕は剣を握る。
変化が終わるその瞬間まで、マスターは笑っていた。
襲ってきた爪を避け、ふるった剣は魔神の皮膚を浅く裂いた。すぐ、傷は消えたが。
間合いを取り直し、もう一度。
悔しいけど、魔神の動きはマスターの動きと似ている。だから、癖がわかる。何回、何百回、稽古をつけてもらったと思っているのか。
稽古では勝てなかった。だから、僕は鍛え直してきたのだ。
本当は、マスターに普通に勝って、褒めてもらいたかった。
剣が、魔神の腕をきりおとす。悲鳴があがる。
血がとんできたが、着込んだ特殊スーツが弾いた。このスーツには、その意味もあったのか。
一気にたたみこむ。
胸を、ひとつき。
倒れかかった魔神の体をとっさに支えたのは、半分だけマスターの顔に戻っていたから。
「マスター!」
「ありがとな、ケン」
マスターの顔は、傷がある方だけが戻っていて、もう泣いているのか、笑っているのかわからなかった。
マスターが桜を見る。
「七、七、八……ああ、もう一度、サチと花見に行きたかった」
小さく呟いて、マスターの体は砂になって消えた。
大きく風が吹いて、桜の花びらと一緒に、砂は舞散った。
最初のコメントを投稿しよう!