04.琴

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04.琴

「七七八、七七八、七八九八」 「なんの暗号ですか?」  桜を見上げながら呟くマスターの背中に声をなげかける。  この人と別れてから半年、落ち葉は満開の桜になった。 「琴だ。知らないか?」  マスターが振り返る。以前と同じ顔で。 「番号どおりに弾いていけば、さくらさくらになるんだ。妹が、習っていたんでね」 「妹さんがいらっしゃるんですね」 「ああ。長らく会っていないが」 「会わないようにしている、ではなく?」  マスターは軽く肩を竦めた。 「今は少し頼りないけど優しい旦那と、可愛い子供がいるんだ。化け物の兄貴なんていない方がいいだろ?」  なんでもないことのように言う。 「化け物を止めに来てくれたんだろ、黒衣の騎士」  笑う。やっぱり傷跡のせいで、半分泣いてるみたいな顔で。  この半年の間にも化け物たちは各地で暴れ、僕はそれを退治しながら鍛えてきた。四天王と呼ばれる、知能も比較的しっかりした化け物を退治し、導かれたのがここだった。  認めたくないけれど、完全にマスターはラスボスの立ち位置だ。 「昼間はまだマシなんだ。でも、夜になるともう完全に俺の自我はなくなる。完全に魔神となる前に、殺してくれ」 「マスターの中に、魔神とやらがいることは聞きました。でも、どうにか元に戻る方法は!」 「ないよ。お前に出会う前からもう何年も探してきた。そんなものない。それが答えだ」  ひらひらと、桜の花びらが舞う。綺麗に。悲しく。 「昔の俺は、魔神を倒した。その血を浴びて、俺は半分化け物になった。なんとか押さえ込んでやってきたけど、あの時の地割れで無理だった。地獄の力がのしかかってきて……仕方なく、俺を倒してくれる騎士を探したんだ」  すっとマスターが僕を指さす。 「なぁ、ケン。悪かったな、騙してここまで来させて。どうにも俺自身で死ぬことはできなくてな」 「騙されたとかは、いいんです」  驚いたけど、悲しかったけど、マスターのおかげでここまで生きてこられたのは事実だから。  受け入れらるかは別だが。  でも、受け入れなければいけない。マスターのなかの魔神が完全に復活する前に。 「ごめんな」  マスターはずっと笑ってる。  どんな気持ちで、自分を殺す騎士を育ててきたのだろうか。  多分、そこにあるのはマスターの愛だったのだろう。人間に対する愛と、責任感。  その人間に対する愛と、責任はマスターから教わってきた。僕は、騎士だから。  マスターの意志を守る。  日が落ちてきた。  マスターの影が変化していく。  頭にツノが。背中に羽が。口には牙が。  僕は剣を握る。  変化が終わるその瞬間まで、マスターは笑っていた。  襲ってきた爪を避け、ふるった剣は魔神の皮膚を浅く裂いた。すぐ、傷は消えたが。  間合いを取り直し、もう一度。  悔しいけど、魔神の動きはマスターの動きと似ている。だから、癖がわかる。何回、何百回、稽古をつけてもらったと思っているのか。  稽古では勝てなかった。だから、僕は鍛え直してきたのだ。  本当は、マスターに普通に勝って、褒めてもらいたかった。  剣が、魔神の腕をきりおとす。悲鳴があがる。  血がとんできたが、着込んだ特殊スーツが弾いた。このスーツには、その意味もあったのか。  一気にたたみこむ。  胸を、ひとつき。  倒れかかった魔神の体をとっさに支えたのは、半分だけマスターの顔に戻っていたから。 「マスター!」 「ありがとな、ケン」  マスターの顔は、傷がある方だけが戻っていて、もう泣いているのか、笑っているのかわからなかった。  マスターが桜を見る。 「七、七、八……ああ、もう一度、サチと花見に行きたかった」  小さく呟いて、マスターの体は砂になって消えた。  大きく風が吹いて、桜の花びらと一緒に、砂は舞散った。
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