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僕の毎日
「そーすけっ! おはよう」
「おはようじゃないだろ、もう夕暮れだ」
日が沈む前の短い時間だけ会える恋人。僕は彼女が人でないことを知っている。夕焼けに照らされた彼女の身体はステンドグラスのように透けて輝いていた。
「でも私は今起きたところなんだからおはよう、で正しいと思うけどな~」
愛花里は後ろ手に手を組み、身体を傾ける。頬が隠れるまで巻き付いたマフラーは事故当時のままだった。
「やっぱ、幽霊って昼間は活動しないもんなんだな」
僕は歩道橋を歩き出す。愛花里も付き添うように浮いていた。
「どうだろ、私はさ、羨ましくなっちゃうから目をつむってる」
愛花里はえへへ、と感情をごまかすように笑った。僕はまた言葉を間違えた。
「ごめん」
「いーよ、いーよ。私の問題だし、そーすけは悪くないって!」
愛花里はつらいはずなのに笑っている。そんな顔をさせてしまったことを後悔した。
***
「そーすけの家って本当なにもないよねー」
愛花里は自分の家のようにベッドでくつろいでいた。ベッドでゴロゴロと寝転がりながらベッドの下を探っている。
「エロ本あったらしばいちゃろ」
愛花里は楽しそうにあさってはいるが、そこには何もない。
「んなもんねーよ」
今時、エロ本なんか買わない。おかずはネットで探す。
「つまんねーの」
愛花里はゴロリと天井を向いた。大きく背伸びをしてふう、とため息をつく。
「ねぇ、面白い話をしてよ」
ルーティンのように繰り返される愛花里の言葉。聞かれるとわかっていても、僕は話のネタを用意しない。
「そんな面白いこと起きないよ。いつも通り学校行って授業を受けた。それだけ」
「本当? 超絶美少女な転校生とか来てない?」
愛花里は僕の目の前に姿を現す。幽霊だからかテレポートしたかのような出現は未だ慣れない。僕の心臓は愛花里が移動するだけで揺さぶられる。
「来てない、来てない。そんな漫画みたいな展開起きるわけねーだろ」
僕は目を逸らす。本当ならば愛花里の胸が僕に当たっている位置。だけど、愛花里は幽霊だから感触はない。視覚的暴力だけだ。
「宗助ー! ご飯よ~」
母が呼ぶ声が聞こえる。愛花里は僕の前からフッと消えた。
「あっ……」
僕は思わず手を伸ばす。掴めるはずのない腕を掴もうとして、空を掴んだ。
音もなく移動した愛花里は僕に背中を向けて立っている。
「いってきなよ、私は散歩してくる」
愛花里は窓も開けずに外に出た。愛花里の後ろ姿を見るだけで僕は寂しくなる。
***
零時になればシンデレラの魔法が解けるように、草木も眠る丑三つ時になれば愛花里にかけられた魔法も解ける。
どろり、と愛花里の顔が血塗れになった。一ヶ月前に見た光景が脳裏に蘇る。歩道橋から突き落とされた愛花里の身体。思い出しただけでも震えが止まらない。
「あ、ごめんね……楽しくて時間を忘れてた」
愛花里は立ち上がり、僕の視界から消えた。黒ずんだ足下からは染みのようなものが出てきている。人間としての本能だろうか、この時の愛花里には近づきたくなかった。それを愛花里もわかっているのか、何も言わない。
「じゃあ、宗助また明日ね」
愛花里は顔をマフラーで隠しながら僕の家を出て行った。
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