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場所貸屋
高校時代の奇妙な友人が、列車に轢かれて死んだと聞いて皆集まった。友達甲斐からではなく、彼が僕らから預かっていた物たちを取りに来たのだ。首都の平均的な、端的に言うとごく狭い集合住宅に彼は一室を借りていた。僕が到着した時は既に数人が、大家の許可を得て入室していた。部屋の中には物を置けるところならどこにでも、大小様々の木箱が置いてあった。彼は僕たちに、この木箱へ個人的な物を入れて置かせた。彼の部屋を物置がわりにする権利を貸していたのだ。一人当たりの単価が数百円から数千円のこの商売を彼はかなり手広くやっていて、かつては地価の高騰している都心部で十数件の場所貸し業支店を営んでいた。下火になったとは言え噂は口コミで広まり、皆この商売を奇妙に思いながらも必要があれば利用していた。僕は彼の最も古い顧客の一人で、彼がこの商売を始めた経緯を知る数少ない者だ。
彼の父親が会社のビルから飛び降りて死んだのは、彼が高校生の秋だった。彼の父は誰にも言えない秘密を持ったのだが、それは女性の服を着るのを好むということだった。自宅に隠しきれなくなったコレクションの一部を彼は会社のロッカーに隠していた。会社にロッカーの中身が知れ渡ったのは、周囲の悪意ある詮索が呼んだのか、単に彼の詰めが甘かったのかは分からないが、彼は社会に居場所をなくし、ビルから飛び降りた。それで僕の友人家族は亡き父の所有物を処分し、空っぽになったガレージが行き場所をなくして残ったのだった。当時彼の級友だった僕は、彼にガレージに呼ばれ、訝しながらも半ば同情を抱いて訪れた。ガレージの中に入った僕は驚いた。牛乳瓶を入れる木製の箱が床に置かれたり壁に取り付けられたりして部屋全体を埋め尽くしていたからだった。何事か尋ねると、一つ君に貸そう、と彼は言ったのだった。
それがつい先日彼の死で終わりを遂げた場所貸し業の始まりで、感受性の豊かな人々を中核に、このビジネスは大いに流行った。日記や書簡類、秘密の本や中には箱の中で金魚を飼う者までいた。今にして思うと、当時も今も場所貸し業の顧客たちは皆ある種の救いを得ていたのかと考えることがある。誰にでも家族などに知られたくない一面を持っているものだし、彼の口は南京錠より堅かったからだ。
彼は大学までこの仕事を続け、卒業と共に本格的にビジネス化した。個人の部屋の余ったスペースを、何かの置き場所を求めている顧客に斡旋すると言うものだ。一時期首都で彼の会社の広告を見たりその名を聞いたりしない日はないほどにもなったが、場所の貸主が全員彼ほど信用のおける者ばかりではなかったことから小さな訴訟と負債をいくつか抱え、事業は下火になった。債務整理後、小さな集合住宅に引っ越してからも彼は自分一人でこの仕事を続けた。客入りはそこそこだったために流し台と冷蔵庫の隙間に空いたわずかな空間にさえ木箱を置いた。彼は場所を提供し続けた。
僕は自分の箱から私物を取り出し、知り合いに挨拶すると彼の部屋を辞した。僕の新しい置き場所も探さなければならないだろう。結局のところ彼が僕らに提供し続けたのは、彼の父が求めても得られなかった、もう一人の自分と言う仮想の存在を可能にする場所だったのだ。
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