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二人面と向かって食べ始めると、怜の強ばっていた表情は幾分とけていた。
ボロボロだけれど、買い換えてない小さなガラスのテーブル。
かち合いそうな距離で食事をとることも、久しぶりだった。
怜の手元にだけビールグラス。
ほぼ飲み干した時、怜が明に話し掛けた。
「アキラ、忙しそうだな。仕事どう?」
「え?」
てっきり玄関で話すといった怜自身の事が聞けると思っていた所、質問され明は面食らった。
「大変じゃないのか?」
「あ、あぁ……大変だけど、楽しいな」
「楽しい、のか。どんな感じなんだよ」
「まだ未開で日々進歩の分野だから、学会や発表やら研究,勉強する事ばっかだけど、俺勉強好きだしな。全く苦にならん。学ぶほど奥深くて、人の役に立てることが嬉しいしな。泊まりや出張が多いのが難だけど。レイに会えないし」
明は、見た目は怜の手元にある液体と全く同じなノンアルコールビールに口付けた。
「出世欲やら、エリート意識ある奴らは、派閥や取り入りなんか本職以外の事で大変そうだけど、俺……いっさい興味ないし。
家継ぐ奴も大変そうだけど、俺は一生大学病院で出世もしないでずっと同じポジで研究と診療出来てりゃいいと思ってるから。
目指した目的が皆と全く違うからな」
明は怜に笑顔を見せた。
「出世とかそんなのに興味ない、自分の座を脅かさない人間だと判ってくれたら、皆優しいし仲良くしてくれんだよ。先輩も師も尊敬できる人だし」
欲がないだけじゃない。
誰とでも仲良くやってゆける。
学校でも社会でも、変わらない明の性格。怜もつられて笑顔を見せた。
怜の笑顔を見て、明は帰宅した時からの不安が少し薄れ、怜の頬を撫でた。
「レイにも良く言われてたけど
俺、”無駄に記憶力いい”し、”無駄に器用”だし。その無駄も本当に役に立ってる。
きっかけは自分発信じゃなくお前だったけど、本当になって良かったと思う。自分でいうのもなんだけど天職な気がする」
明は怜の頬から左肘に指を滑らせ愛おしそうに、撫でた。
「天職……か」
怜は長い睫を伏せた。
「レイ、珍しいな。俺の仕事の事、殆ど聞いてきた事なんて無かったのに」
今まで勤務の予定を聞かれはしても、仕事内容に関して聞かれたことはあまりなかった。
「あぁ、ちょっと聞いてみたくなったんだよ」
「所でさっき、飯食って話すって言ってたレイの話は? もしかして、俺に聞いてきた事と、関係あり?」
「うん、あぁ」
怜はテーブルの下に置いていた2本目のビールをあけた。
「……実は今日、おっさんに呼び出されて」
ビールを流し込んで、細い息と共に怜は言葉を発した。
「おっさん?」
「ああ」
怜の表情はまた神妙になった。
「まあ、無い事じゃないだろ?普通の企業で言えば、社長いや会長の位置になんのか?私立の学長って?俺にはよくわからないけど」
明は卒業式以来姿を見ていない、怜が”おっさん”と呼ぶ狸親父の学長のことを思い出していた。
「レイ、何かしでかしたのか?」
冗談ぽく言った明の台詞に怜は俯いたまま首を振った。
「僕が、仕事上ミスしたっておっさんは怒らないよ。僕のファンだから」
怜は薄くニヤリと笑った。
「おい、レイ。でもまあそうだよな。レイを事務に雇ってくれたのもおっさんの鶴の一声だったんだろ」
「ファンだから怒らないてのは、勿論冗談だよ。
おっさんはずっと気にしてくれてたからな。学校の名誉の為に無理して肘イカれたんじゃ……って思ってるだろうから。僕は僕の為に投げたんだから、学校のせいでも誰のせいでもないのに。
でも心配して、事あるごとに気にかけてくれて嬉しかった。
就職も学校の事務に雇ってくれて。
正直、どうすりゃいいか悩んでたから、助かった」
「怜は……その仕事で悩んでるのか?」
「いや?全然。事務の人達みんな良い人で親切にしてくれるし。
女が多いって聞いてたからビビってたけど、うちの姉妹より酷い奴なんていないな。
怖いから気をつけろっていわれてるお局様も、聞いてたのと全然違くて一番良くしてくれる。
ほんとおばさん達、超優しいんだよ。教えてくれるし助けてくれるし。
ただ、事務所すごい女のにおいするのがなあ。僕が来る前はそうでも無かったらしいのに、なんで皆あんなプンプンさせてんだ?」
怜は事務所内を思い出したのか、笑っている。
明はあまり喋りたがらない怜の仕事場の様子が聞けて嬉しく思った。
お局様やお姉さま方が優しいのは、怜だからだろと自分の母親込みで思ったが、話の腰を折りそうでつっこみを飲み込んだ。
「でも、怜が事務仕事をするなんて、想像つかなかったな」
「どういう意味だよ」
怜はムッとした様子で、明にテーブル拭きを投げつけた。
「もう5年だし生徒の受付とか書類とかちゃんと処理出来てるよ。
パソコンは得意じゃないけどちゃんと使えるし、今も皆教えてくれるし」
「ガラケーでメールも使えなかったレイがねぇ」
明は怜が高3で初めて携帯を持ったときのことを思い出し、肩を震わせて笑いをこらえた。
「パソコンは大きいだろ。ちまちましたのが性に合わないんだよ!」
思い出し笑いをしてる明の様子に、怜はテーブルの下で足を蹴った。
「でかさの問題か?」
怜と明の笑い声がリビングに響いた。
「話逸れたけど、学長の話は何だったんだよ?」
「実はおっさんに……『野球部の監督しないか』って言われたんだ」
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