素直な気持ち

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素直な気持ち

 火にかけたフライパンに二人分のご飯をあける。それを少し崩してから溶いた卵を流し込んだ。本当は一人分ずつ作った方がご飯がパラパラになって美味しいけれど、めんどうだし時間もないから一回で済ませる。その代わりに溶いた卵を入れるとほぐれやすくなるから、速さと手間を重視するときは先に混ぜることにしている。ほどよく混ざったら刻んだネギと小さめに切ったチャーシューを投入。具材はシンプルに、味付けは適当に。  炒め終わったら皿に移して残り物の紅生姜を乗せて完成。 「今日は炒飯か」 「黙って入ってくるなよ」  作っておいた卵スープを温め直して器によそっていると、いつの間に入ってきたのか後ろから政信が顔を覗かせた。 「声はかけたぞ」 「聞こえなかった」 「言いました」 「聞こえなかったら言われてないのと同じだろ」  がちゃがちゃと準備をしていると、肩に重みがかかる。すぐに耳元で、 「ただいま」 「……おかえり」  肩から重みが消えるのと同時に後ろから腕が回ってくる。その手がスープの器を二つ持つと、離れていった。台所から出て行ったのを確認して俺はそっと息を吐いた。 「ほんとにやめて欲しい……」  付き合い始めて一ヶ月ほど経つけれど、俺は今だに政信の態度に慣れない。元々、冗談を言っても優しいやつだからそれ自体は変わらないのだけれど。  急に距離を縮めたり、素肌に手が触れたり、好きだと言ったり、キスを、したり。  多分、政信にとっては普通なのだろうが、恋愛経験値の低い俺にはハードルが高過ぎる。前にそういう関係だった小林も優しい男だったけれど、そんな露骨に態度には出さなかったし。 「なんか」  浮かれている、という自覚はある。なんだかんだ言っても、俺は政信のことが好きなのだ。付き合い始めたばかりなのだから別に浮かれてもいいとは思う。思うのだが。 「らしくない」  周りに散々言われるように、俺はマイナス思考だ。子供の頃だって遠足の前の日は、明日が楽しみだと眠れなくなるというよりは、雨が降ったらどうしようかと思い悩む方だった。そんな基本のところは変わっていないけれど、どこか浮ついているのだ。今日も久しぶりに会った鈴木に言われてしまった。「そんなに例の男とはうまくいっているのか」と。 「素直にそうだって言えばいいじゃないか」 「いやだ」 「なんでだよ」  ここ最近の自分の地に足の着かない感じを鈴木に指摘された話をすると、政信は笑ってそう言った。 「そんな恥ずかしいこと言いたくない」 「恥ずかしくはないだろ」 「俺のキャラクターじゃない。……恋愛ごとに現を抜かすとか」 「現を抜かすって久しぶりに聞いたな」  ムキになる俺を笑っていなしながら、政信はスプーンを口に運ぶ。こういう時、俺は政信との間に年齢差を感じて、だから最近は感情的になっていると思ったら一度息を吐いて落ち着くことにしている。 「それにしてもお前の炒飯はうまいな。なんでこんなにパラパラになるんだよ」 「大したことじゃない。せっかく来たのに悪いな手抜きで。帰ってから時間がなくて」 「手抜きには思えないけどな。行ったんだっけサッカーの試合。あの友達の」 「うん」  この間、鈴木から電話があって、次の日曜日にサッカーの試合があるから見に来ないかと誘われた。サッカーの試合というのは鈴木の所属しているクラブチームで、ホテルの厨房で働きながら暇を見つけては練習に明け暮れているらしい。 「サッカーなんて全然興味なかったけど、面白いもんだな」  サッカーの試合を生で見たのは初めてだったけれど、意外なほど白熱した。 「なんか熱くなったわ」 「へえ、珍しい」 「本当にさ、ちょっと声が枯れたもんな。ゴールが決まると周りの観客が沸くからつられて」 「そんなに面白かったか」 「ボール蹴りながらひらひら相手をよけてくんだぜ?足がどうなってんのか全然わからなかった」  自分で言うだけあって確かに鈴木は上手かった。素人目だから本当のところどれぐらいのものなのかは分からないけれど、俺は素直にすごいと思った。 「あいつ小学生の時から大学までずっとサッカーやってたって言ってたから。すごいよなあ」 「それは長いな」 「だろ?見に行ってよかったよ。なんか気分もちょっと晴れたし」  学生の時も鈴木には何度か見に来ないかと誘われていたけれど、ルールもわからないし知らない人ばかりだしと、いつも断っていた。それでも行ってみようと思えたのは鈴木に言われた、変わったな、の一言のせいかもしれない。  働き出してからまだ少ししか経っていないけれど、ここのところ俺は落ち込んでいた。就職できたのも奇跡に近いような老舗の料亭は、覚悟はしていたけれどかなり厳しかった。自分の不甲斐なさを突きつけられて相当参っていた。 「電話の声で落ち込んでるのがばれたらしくて」  試合が終わったあと鈴木に、いい気晴らしになっただろ、と背中を叩かれた。何も言わなかったから気づいていないのかと思っていたのに。世話焼きは健在らしい。 「声出して応援してたおかげですっきりした。鈴木のおかげだな」  くよくよしても仕方ない。明日からまた頑張ろう、そう思えた。 「お前な……」  いつの間にか食べ終えていた政信が、頬杖をついて俺を見ていた。その顔は不機嫌そうだ。 「なんだよ」 「そういう時は俺に言えよ」 「は?」 「元気がないことは気づいてたけど、お前が何も言い出さないならそっとしとこうと思ってた」 「そう、なんだ?」  険しい顔で俺を見ている政信に、俺は間の抜けた返事をした。政信はどこか不機嫌そうな顔をしている。 「悩んでるんならまず、俺に言え」  どうやら政信は怒っているらしかった。なぜかはわからないけれど。 「週に一回は会ってるんだから。俺に相談してくれないと、恋人としての立場がないだろ?」 「そんなこと、」 「俺に言ってほしかったよ」  そんなふうに思うなんて考えてもみなかった。そもそも落ち込んでいることを表に出しているつもりもなかったから。でもよく考えたら気づかないわけがないのだ。他人を、俺のことをよく見ている政信が。 「そう、だな。俺だってもし政信が悩んでることに気がついたら、話してほしいと思う。ごめん」  俺が謝ると、政信は大きなため息をついた。それからおもむろに立ち上がると、呆れられたのかと思いびくりとする俺の横に座る。そして俺の肩に頭を乗せた。 「……悪かった」 「なんで政信が謝るんだよ」 「八つ当たりだ」 「八つ当たり?」  思ってもみない言葉に驚いて、オウム返しに問い返す。 「辛くても言わないのがお前だし、誰に言うかもお前の自由だ」  また小さく息を吐いた。 「これは完全に俺が悪い」 「え」 「お前の友達に嫉妬した。情けないな」  顔を上げて困ったように笑う。そこにいつもの余裕そうな表情はなかった。 「鈴木に?」 「だってお前、悩んでたはずなのに今日になったらすっきりした顔してるし。俺の知らない間に、俺じゃない誰かのおかげで。ちょっと悔しいだろ」  政信のらしくない言葉に、俺は本当に驚いた。 「これは俺の八つ当たりだけど」 「大人のくせに」 「大人だけど、ただの男だ。やっぱり恋人には甘えて欲しいんだよ」  さっきまで政信が俺の肩に頭を乗せていたはずなのに、気がつけば俺は背中から政信の胸に倒れこんでいた。 「覚えといて」 「……分かった」  俺は思っているよりもずっと大切にされているらしい。すぐそばにある体温とか匂いとかに、いとおしさが込み上げる。くすぐったいような、けれど以前にはなかった素直な気持ちで、俺は政信に背中を預けた。
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