赤ちゃんはどこからやってくるの?

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赤ちゃんはどこからやってくるの?

「じ、自転車」 「焼き肉」 「く、く、くーくり!」 「りす」 「寿司」 「しか!」 「お、早いな。じゃあ、かっぱ」 「パスタ。……よし今日はトマトと茄子のパスタにしよう」 「決まったか」  手をつないでいた英太が、やったーと声を上げる。さらにその隣で政信が、茄子はうまいなと言った。 「あとは、サラダとパンか」 「コーンスープ!」 「はいはい」  元気よく言った英太がつないだ方の手を大きく揺すった。 ✳︎✳︎✳︎  日曜の午後は穏やかに暮れていく。早くも日が傾き始めて、カーテンをオレンジに染めていた。今晩の御飯を何にしようか考えながら買い物に行く準備をしていた俺の袖を、英太が引っ張った。 「一緒に行く」 「買い物に?」  うんと頷いて笑顔になる。準備をするように言うと、英太は雑誌をめくっていた政信に駆け寄って行った。 「お買い物行こう?」  珍しくのんびりとしていた政信はきょとんとした顔で英太を見ていたが、やがてぱたんと雑誌を閉じるとくしゃくしゃっと英太の頭を撫でた。 「よし行くか。じゃあ帽子を被っておいで」 「うん!」  元気よく返事をした英太に笑って、政信が立ち上がる。伸びをして、首を左右に曲げると、ぱきっと軽い音がしていた。 「いいのか?」 「いいさ別に」  夜中でもたまに呼び出されて出ていくことがあるくらいで、こんなにゆっくりしていることはあまりないから、無理に連れ出すのは悪い気がした。 「せっかく休みなのに」 「三人で夕飯の買い物に出かけるのも休みじゃないとできないだろ」 「まあ、そうだけど」  行くぞ、と言った政信の笑顔に押され、早くと急かす英太に手を引かれて、俺は部屋を出た。 ✳︎✳︎✳︎ 「トマトは缶詰でいいか。茄子と……あとはサラダの野菜ぐらいか」  青果売場でカートを押していると、スーパーに入った途端ぴゅうとどこかへ走っていった英太が、両手にお菓子を持って戻ってきた。 「これ買って」 「一つだけな」 「一つだけ?」 「一つだけ。どっちかだけかごに入れて一つは返しといで」  英太は両手に持ったお菓子をしばらく真剣に見比べていたが、やがてスナック菓子をかごにいれると、チョコレートの方は戻しに行った。 「お母さん、これ買ってほしいんだけど」 「誰がお母さんか言ってみろ」  後ろから声を掛けられて振り返ると、政信が両手に缶ビールを持って立っていた。こちらもふらふらとどこかへ消えたと思っていたら、どうやらビールを探しに行っていたらしい。 「パスタにビールもいいと思うんだ」 「おい、なんで二本も入れてるんだよ」 「一本はお前のに決まってんだろ。一人で飲んでもつまらないから」  かごのすみに置かれた二本のビールを見ながら俺はため息をついた。英太にお菓子を返させた手前どうかとも思ったが、いつも疲れて帰ってくる政信にたまにはサービスしてやるかと見逃すことにした。 「英太どうした?」  かごの中の缶ビールを見ていた俺は政信の声に顔をあげる。お菓子売り場から戻ってきた英太がしょんぼりした様子で立っていた。 「なんかあったか?」  政信が聞いても首を振るだけの英太に、俺たちは顔を見合わせた。さっきまであんなにはしゃいでいたというのに、すっかり萎れている。 「そんなにお菓子食べたかったのか?」  ふるふると首を振る英太にそれ以上何を言っても答えは返ってこなさそうで、とりあえずそのままに買い物を続けた。  帰り道、手をつないで歩く英太はやっぱりしょんぼりしたままで、どうしたものかと思いながら言葉を探していた。俺はよほど困った顔をしていたのか、目が合った政信が苦笑を溢した。 「英太。どうしたんだ」  相変わらずうつむき加減で歩いている英太の方は見ずに、さらりと政信が言った。 「なんかあったか?」  それには首を振らずに、英太は顔を上げた。向こうの方から親子連れが歩いて来る。小さな男の子が甘えたように母親の手を揺らし、はしゃいだ声を上げていた。そのまま隣にいた父親にひょいと抱き抱えられて、絵に描いたように幸せそうな家族だった。それを目で追っていた英太がぽつりと小さな声で言った。 「赤ちゃんはどこからやって来るの?」  唐突な質問に、俺と政信は顔を見合わせた。そして同時に英太を見下ろす。その顔は子供らしさのない硬い表情で、いつも無垢な顔を見せる英太には不似合いだった。 「どうして、やって来るの」  それはなんとも難しい質問で、けれど英太の顔を見れば適当にも答えられない。もしかしたら、さっき急にしょげてしまったのはスーパーであんな親子を見たからかもしれない。自分と一緒にいない母親に疑問をもったのかも。  答えられずにいると、立ち止まった政信が英太の前でしゃがみ、その目線を合わせた。 「赤ちゃんが生まれるには、お母さんとお父さんがいるだろ?」 「うん」 「そうしたらさ」  政信が英太に笑いかける。優しい、優しい顔で。 「思うんだ。赤ちゃんに会いたいって」 「あいたい?」 「そう。お母さんとお父さんがすごく会いたいと願うんだよ」 「そうしたら、赤ちゃんはやって来るの?」 「そうだ」  政信の言葉を聞きながら、俺は父さんのことを思い出していた。  いつだったか一度だけ、姉が出ていったことを怒ってないのかと聞いたことがある。自分勝手に出ていった姉のことを。父さんは、 『まあなあ。けれど子供はいつか離れていってしまうものだ』 そう言って、特に気負ったふうもなく続けた。 『それでもほんのひとときでも一緒にいられたんだ。親っていうのは、生まれてくる子供に会えただけでもありがたいと思えるんだよ』  円にも、お前にもな。  普段無口な父さんの率直な言葉に、まだ子供だった俺は気恥ずかしさを感じて戸惑ったのを覚えている。 「英太が生まれてきたのは、英太のお母さんとお父さんが、すごく英太に会いたいと思ったからなんだよ」  政信が柔らかく英太の頭を撫でる。それを見ながら俺は鼻の奥がつんとするのを感じた。その感傷を振り切るように声を上げる。 「お腹すいたな」  英太を見下ろすとさっきとは違う、明るい顔で頷く。その隣で和かな顔をした政信が俺を見ていた。 「帰ろうか」 「うん」  父さんと母さんが会いたいと願ってくれたから生まれた俺は、たくさんの人に出会ってきた。英太と、そして政信と今ここにいる。  それはささやかな幸せ。  いつか英太もそんなふうに思ってくれたらいい。そんなことを思いながら右手の中にある小さな手のひらに、力をこめた。
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