放課後、教室、ミミとナナ。

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 放課後の教室には私とナナのふたりだけ。  ナナの名前は七菜。私は三々美。ナナナとミミミなんて変な名前だよね、と高校に入学してすぐに意気投合し、二年生になってクラスが別になってもいつも一緒に過ごしてる。 「ねぇナナ、もうすぐ見回りの先生来ちゃうよ」  秋の日暮れはあっという間で、日が沈み始めたな、なんて思ったすぐ後にはもう目の前の人の顔もよく見えなくなっていたりする。先生たちはそんな時間に生徒が学校に残っているのをよく思わないから、意味もなく残っている悪い子はいないか、と校内をくまなく歩いて目を光らせる。 「もう来ちゃうのかー、ナマハゲ」  見回りの教師についたあだ名はナマハゲ。捕まると特進クラスで追加の授業を受けている生徒たちの邪魔にはなってはいけない、と怒られてしまう。  私たちだって優秀な子たちの邪魔になるようなことなんてしたくはないから大声で騒いだりはしないのだけれど、それでもやっぱり、おしゃべりのために残るのはいけないと言われてしまうのだ。 「見つかったら怒られちゃうよ。隠れよ」  がらんとした教室では私たちふたりの話し声すらもやけに響く。  私たちはいつものように、カーテンを自分たちにくるりと巻いてナマハゲをやり過ごすことにした。  誰もいないかー、と見回りをするナマハゲの声が廊下から聞こえてくる。あの声の方が特進の子たちの気を散らせてしまうんじゃないかな。 「……わ、すごい」  廊下に気を向けていると、ナナが何かに感動したような声を上げた。カーテンの中で身を寄せているから身動きがしづらい。ナナが何に驚いたのかその視線を辿りたいのに、カーテンごとこんがらがってしまう。 「ちょっと、ミミ、苦しい」 「ううう、絡まるぅー」  ナナの長い髪から、この前おすすめしたシャンプーの香りした。私も同じシャンプーを使っているから、ナナの髪は今、私と同じ匂いなんだな、とくすぐったい気持ちになる。 「ミミの香り、私といっしょ」  ナナも同じことを思ったのか、まるで私の心を読んだようにそう言った。 「私の髪は短いから、ナナほど香らないけどね」  おまけにくせっ毛でまとまりづらい。 「そんなことないよ。いい匂い」  ぐちゃぐちゃになったカーテンの中ですん、と鼻を寄せられて慌てる。ずいぶん涼しくー―むしろ寒くなってきた季節だけれど、今日は体育もあったから汗臭いかもしれない。  思わず突き出した手でナナの頬を押す。 「いらい(痛い)。なにふんのよ(なにするのよ)」 「だって、近いんだもん」  ナナが頬に押し付けた私の手を取ってわざとらしく睨む。 「カーテンの中なんだからいつも近いでしょ。なにを今さら」  放課後、ナマハゲの気配のする度に私たちはいつもカーテンに隠れる。 「そうなんだけどさぁ」  ナナのクラスは今日は体育は無かったはずだ。私ひとり汗臭いのは恥ずかしい。  ナナだけ体育がある日もあるけれど、そんな時は逆に近づきたくなるから不思議だ。嫌がらせとかじゃなく、ただ純粋に近づきたくなる。ナナが汗臭くなることはない。何と言えば良いのだろう……「ナナの匂い」が増すのだ。その香りが私には心地よくって、それで近付きたくなる。 「私が汗かいた時は近づくクセに」  見透かした瞳でナナが言う。バレていたのか、と言葉に詰まってしまう。だから私も、なんてナナは言って鼻をすんと鳴らすので、またもや私はその顔を掌で力いっぱい押しのけた。 「それよりも! それよりも、すごいってなに?」 「あ、そうだよ、沈んじゃう。ホラ見て、ミミ」  頬に両手が添えられて、そこから勢いよく首を窓の外に向けさせられる。 「首がぐきっていった!」  涙目で訴える。 「そんなにゴリラじゃないよ、私の力」 「ゴリラだよ。痛かったもん」 「いいから見てよ、夕日。おっきい」  無理矢理動かされた首をさすりながら視線を上げる――と。  わぁ、と心からの感嘆の声が漏れた。 「真っ赤。おっきい。綺麗!」 「ね。真っ赤だよね」  語彙力なにそれ美味しいの? 本当に綺麗なものとかすごいものの前ではきっと、人は綺麗とかすごいとか、そのまんまの言葉しか出てこない。……教養がないからではない、決して。  とにかく窓の外、景色の中に沈んでいこうとする夕陽は色が濃くて綺麗だった。私たちの顔も照らされて赤く染まる。 「沈んじゃうのもったいないね」とナナは言う。 「ずっとあそこに浮かんでればいいのにね」  そしたらナナとふたり、ずっとカーテンの中でこうしてあの夕陽を眺め続けていよう。 「消えてしまうものだからきっといっそう綺麗だと感じるんだよ。うん、良いこと言ったな」  ナナは自分の言葉に感じ入って頷いている。  その間にも夕陽はじりじりと沈んで行って、世界の明るさが急速に失われていく。ひとつひとつの教室を見て回るナマハゲの声も段々と遠ざかっていっていた。 「ミミ、沈むまでしっかり夕陽を見ててね」 「なに、いきなり」  いたずらっぽい声で言うナナを振り向こうとすると、「コラ、こっちを見ない」と首の角度をぐきりと直された。痛いってばー、という不満も聞き流される。 「催眠術かけるから。見ててね、夕日」 「そんなのかけられるの、ナナ」 「ミミにだけ限定でね」  一呼吸おいて、ナナは言う。 「――あの夕陽が沈むまで見つめていると、ミミは私に好きだと言いたくなります」 「えっ、なにそれ!」  瞳はちゃんと夕陽に向けたまま、ナナの言葉に驚く。 「じーっと真っ赤な夕陽を見ている内に、顔も真っ赤になっていきます。そして私のことを好きだよー、と伝えたくなります」  催眠術でもなんでもないじゃん、と呟く。 「意地悪だ。好きだって言わせたいだけでしょ」 「聞きたいんだもん」  背中におぶさるようにして言う。ナナの髪の毛が視界で揺れた。私がナナのことを大好きなの知っててからかってくるんだから、意地が悪いと思う。 「意地悪だと思う?」 「…………」  いつも言いたくて、なのに言えずにいることに気付いているからこうしてふざけて言わせてくれる。……分かってる。  そんなことをごちゃごちゃとやっている間に、夕日はすっかり沈んでしまった。特進クラスの授業が終わって生徒たちが出ていく音が遠くに聞こえる。カーテンから抜け出て、電気もつけないままの教室でナナの腕をぎゅっと掴んだ。 「……大好き、ナナ」  ナナを見つめてそう言うと、ナナはご満悦の表情を見せた。 「さ、催眠術! 催眠術にかかったからだよ!」  夕陽がうんと綺麗だったからだよ、と掴んだナナの腕を振り回す。ナナはうわー、イタタタなんてわざとらしく痛がる。 「私も! ナナに催眠術かける!」  手を繋いで誰もいない教室を後にして、次第に夜の気配の満ちていく廊下を歩きながらムキになってそう言った。  昇降口を出ると空には月が昇っていた。くっきりとした光を夜道に落とすその月を指差して、私は「あの月をじっと見て下さい」と思い付きの催眠術の口上を述べた。 「あの月をずっと見ていると――」と言うと、先の言葉を止めるように、ナナが繋いでいた手の指先を柔らかく絡めた。 「ナナ……?」  問いかけると、ふっと微笑む。 「――ずっと見ていると、私はミミに愛の告白をしたくなります」  ナナは私の催眠術の言葉を代わりに続け、ねぇ? と私の顔を覗き込んだ。 「月が綺麗だね?」  そして違うなーーと呟いてもう一度、私を見る。 「……ミミは、月より綺麗だね」  その言葉と蠱惑的な微笑みに私は見事撃ち抜かれ、赤くなった顔を隠して路上でうずくまるのだった。
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