妖精市ではご注意を

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 人生でもう一度行きたい場所を述べるのであれば、僕はフェアリーマーケットと答えるだろう。  これはまだ僕が大学生だった頃、パンを買うなら必ずココと決まって通うパン屋があった。このパン屋では午後の五時から売り出すクロワッサンが絶品で、パンが購入できた日は自宅まで二駅ほどの距離を歩いて帰るのが習慣となっていた。  ちょうど日が沈み始める前の時間。その日もパンは買えていて、レポート終わりのテンションから目当てのクロワッサン以外にも様々なパンを買っていたのを覚えている。  たくさんのパンが入った紙袋を両手で抱えて帰っていたとき、僕よりも頭一つ分以上の高さ、およそ180センチほどでスーツを着た男に声をかけられた。 「兄ちゃん、そのパンは・・・」  声の凄みと身長の迫力もあり、すっかり萎縮してしまい、自分でもよく分からないことを口にしていたと思う。何にせよハッキリと何を言ったかは覚えておらず、内容的にはお好きなモノをがあれば渡します、的なことを言ったんだと思う。 「ほう、それなら。」  スーツを着た男はパンが入った紙袋を上からのぞき込み、その中からフランスパンを選び取った。 「ありがとな、お礼にいいところに案内してやるよ。」  フランスパンをまるで武器を持つように肩で担いで、男は近くの公園へと足を運んだ。断るタイミングを見失い、かといって逃げ出す勇気もなかった僕は怯えながら彼について行くしかなかった。  公園内に入り少し歩いた頃、異変に気がつく。この公園は数回来たことがある、それにパンを買った日はこの公園の前を歩いている。にもかかわらず、今いる場所は知らない場所であった。  公園にあるベンチ、街灯、遊具は変わらないが公園自体の形が違う。こんな大きな広場はなかったし、砂場とブランコの間に舗装された道なんて無かったはずだ。  僕が戸惑っている内に男は足を止め、そしてUターンをして僕の目の前に再び立つ。 「じゃあ楽しみな。後で迎えにくる。」  それだけ言って男は僕の背後へ歩き去る。 「まって!」  焦って振り向きながら呼び止めようとするが、そこには男の姿はなく僕はその場に取り残されてしまった。  とりあえず歩いてきた道を引き返せば帰れる、そう思い歩き出すがその考えは甘かった。どの道を行こうとも、気が付くと再びこの広場に戻されてしまうのだ。  途方に暮れたときクスクス笑う女の声が聞こえた。誰かいると思い振り返ると電柱にもたれ掛かるようにして、丸い鍔の付いた帽子をかぶった一人の女性がこちらを見ていた。 「あの・・・」  藁にすがる思いで声をかける。 「笑ってごめんなさいね。だってあなたちっともココの事を知らないんですもの。」  女性の声は少し高く、そして透き通ったような声だった。 「ここは夕暮れ時に行われる市場。妖精の市場とかフェアリーマーケットって呼ばれてるんだけど。聞いたことはない?」  突然言われた内容は当然知るはずのない情報であった。 「えっと、知らない。市のお祭りか何か?」 「本当に知らないのね。じゃあ妖精は知ってる?」 「妖精って言うとゲームとかででてくる、羽の生えてて、小さい女の子みたいで・・・」  そこまで言ったとき、女性は帽子を少し外す。そして女性は特徴的なとがった耳を見せるとすぐに帽子をかぶり耳を隠した。 「今のって・・・」  こちらの問いにはハッキリ答えず、女性は会話を続ける。 「妖精は確かにいるの。ただ、居ると思わないと見えないだけ。もう一度公園を見渡してみて、ただし今度は居ると思って。」  言われたままに公園を見渡す。すると先ほどまでは誰もいなかった公園にいろいろな姿をした動く生き物が見られた。見た目も、大きさも様々で。まるでフリーマーケットのように道の端にブルーシートやござを敷いて何か売っている様子だ。そしてそれを買う客もまばらに歩いていた。 「見えた?これが妖精の市場。あなたは迷い込んじゃったのね?」  未知の世界であることに恐怖を感じた僕は、少し興奮気味で女性に問う。 「どうやったら帰れますか!元の場所に!」  女性はなだめるように僕の肩を軽く叩いた。 「大丈夫よ、落ち着いて。まずはそう、買い物でもしてきなさいな。お客と分かれば妖精も悪いことはしない。その手に持ってるパンなんかと交換すれば、きっと妖精も喜ぶわ。」  叩いていた肩をつかみ、僕をクルリと反転させる。そしてトンと背中を押す。振り返ってみると、彼女は微笑んだまま手を振っていた。  きっと買い物をしてこいということだろう。そう受け取った僕はとりあえず妖精の店を見てくることにした。  数件歩いてみるが売り物が見あたらない。場所によっては店主の姿も見えないところもある。初めて売り物が見えた店は植物を売っている店だった。  ブルーシートに並べられていたのは陶器製の植木鉢に植えられた大小様々な植物。植物にはあまり詳しくないが、小さな紅葉や腰ほどのヒマワリなど季節問わずの植物が展示されている。値段は書かれているのかとジッと見ていると、店主から声をかけられる。 「気になるかね、少年。」  店主の声は渋く低い、50センチほどの大きさで三等身のバランスだ。顔には無数のしわがあり、よく見ると髪の毛がある場所には木の根が、髭の生える場所には葉っぱが生えそろっていた。 「え、ええ。おいくらぐらいかと思いまして。」  動揺しながらも返事を返す。商品をざっと見渡し、一番小さな手のひらサイズのサボテンの植木鉢を指さした。 「このサボテンはいくらですか?」  店主は少し頭をひねる。 「そうさねぇ、その袋を見せとくれ。」  店主がパンの入った紙袋を指さしたので、僕は中が見やすいよう横向きにして店主の前に紙袋を置いた。  ふむふむと声を出しながら店主は紙袋をあさり、二つほどパンを取り出した。 「これとこれかねぇ。はい、商品とお釣り。」  取り出したパンを店端に置き、こちらの返答も聞かないままにサボテンの植木鉢と二枚の葉っぱを渡してきた。 「あ、はい。ありがとうございます。」  僕は植木鉢と葉っぱを受け取り。パンの入った紙袋を片手で持ち上げた。  一応買い物は出来たみたいだし、これでいいのかな?  そんな事を考えながら女性の元へ戻ろうとしたとき、突然声をかけられた。 「ちょっとそこのお兄さん。お兄さんにいいサイズの靴があるんだけど見ていかない?」  声の聞こえた方を振り向くと、そこはベンチだった。しかしベンチには誰の姿もなく、ベンチの上に小さなパイプと琥珀色の液体が入った瓶、それと片方だけの靴が置かれていた。 「どうかな、人間のお兄さんにピッタリだと思うんだ。ちょっと手に取って見ていってよ。」  その言葉の後、靴はフワリと浮いて僕の手元へとやってきた。  僕は靴を受け取るため、一度ベンチに紙袋をおいた。靴のサイズは良さそうだ。スニーカーでデザインもよく、革と布が織り交ぜられた不思議な製法は今まで見たことのないモノだ。普段履きというよりはオシャレ用、むしろどこかに飾っておけるような芸術的なモノにも感じる。  しかし片方だけでは使いようがない。お返ししようとベンチを見たとき、こちらが驚くほどのうれしそうな声で相手が話してきた。 「うわーこんなにも入ってる。いいの!?ありがとう!はい、お釣り。」  ここでも半ば強引に商品の受け渡しが成立してしまった。お釣りとして小石を一つ、購入した靴の中に。先ほど渡されたのと同じ葉っぱを一枚と少しの砂が入ったビニール袋を空いていた手で受け取ると、ベンチごとその場から見えなくなってしまった。  呆然と立ち尽くしていると、少しあわてた様子で帽子をかぶった女性が駆け寄ってきた。 「どう?何か買えた?」  僕はサボテンと靴を見せた。 「そう、よかった。日の暮れる前に帰らないといけないからあなたを探しちゃったわ。買い物の時、お釣りとして何か貰わなかった?」 「もらったよ。葉っぱと、あとは砂かな?」  僕は手に持っていた葉っぱと砂を見せる。それをみた女性は少しだけ喜んだような笑みを見せた。 「あなたがそれを集めてなかったら、もし捨てたりするようなら貰ってもいいかしら。私、妖精のお釣りを集めるのが好きなの。」 「いいですよ、こんなのでよければ。」  そう言って葉っぱと砂が入った袋を渡すと、女性は大事そうにそれらを持っていたハンドバッグにしまった。 「さあ、早く戻らないと。日が沈みきる前に帰らないと戻れなくなっちゃうわ。」  それを聞いて僕は慌てた。 「戻れなくなるって、早く言ってくださいよ。どこに行けば帰れるんですか?」 「暮れる日に向かって行けば大丈夫。私はいつもこれで帰れてるわ。」  女性は言葉を言いながら僕に背を向け、駆け出した。しかし日が沈もうとしている向きとは逆、闇の深い方向へ向かっていったのだ。 「あのっ!」  慌てて声をかけようとしたが、後ろから口を押さえられる。 「声をかけるな。あれでいい。」  おそるおそる振り返る、そこには僕をここに導いたスーツを着た男が立っていた。  男は女性の姿が見えなくなった頃を見計らい、僕の口に当てていた手を離した。 「こっちだ。」  男が暮れる日に向かって歩き出す。僕は彼女を心配しながらも彼に付いていった。 「さっきの人・・・いや、さっきの妖精は?」  何も言わない男にこちらから質問してみた。 「妖精?さっきのは人間だ。それもこの辺ではとびきり悪評のある、な。」 「でも耳が尖ってましたよ。」 「妖精はそんな簡単なヘマなんてしないさ、大方人間を騙すための作り物だろ。」  暮れる日は道外れの森の中に向かっていたため、僕らは森の中へと入り込む。 「悪評って?」  木々をよけて歩く男に、僕は質問をした。 「あいつは詐欺師だ。人間界で詐欺をして、妖精が見えるからってこっちへ逃げ込んだ。最初はおとなしくしていたが、金儲けが出来ると分かったとたんこっちと人間界を往復し始めた。それに嫌気がさして妖精たちはアイツに物を売らなくなった、だから人間が迷い込んだときにああやって騙して、儲けようとするんだ。」 「確かに僕は騙されたみたいですけど、でも何も盗られてませんよ。買った物もちゃんと持ってますし。」  振り返った男に、僕は小さな植木鉢と片方の靴を見せた。 「それは商品だからな、買った人にしか価値は分からねえ。アイツの本命はお釣りさ。」 「あの葉っぱと砂?」 「葉っぱは銀貨、砂は砂金。人間界ではそうなんだ。」  唖然とした。騙されていたことに気が付いた苛立ちも、自分が儲け損なった悔しさも無く、ただただそうだったんだと思うだけしかできなかった。 「まあ、あんたは買い物して帰れた。それだけで良いじゃねえか。」  男は足を止め、僕が先を歩くように促す。遠くの方からわずかに、車の走る音が聞こえる。 「あの女の人はどうなるんですか?」 「さあな?しばらくは無い出口を探してさまよって、あとは妖精たちの気分次第だろ。パン旨かったぜ。」  木々の隙間から見慣れた景色が姿を見せる。お礼を言おうと振り返る。しかし男の姿は遠く、スーツが闇に混じりわずかに見える程度だった。そのとき僕は確かにみた。彼の背中からうっすらと、まるで蝶のような羽が出ているところを。  見慣れた道に出てから振り返ると、歩いてきたはずの長い森は見あたらなかった。公園に近い場所だったので公園にも足を運んだが、いつもの見慣れた公園だった。日がちょうど沈みきろうとしてる。先ほどの事は夢だったのかと思いたくなるが、手に持ったサボテンの小さな植木鉢と片方の靴は本物だ。  帰ろうと思い靴を小脇に抱えたとき、靴の中からコロリと何かが地面に落ちた。拾い上げてみるとそれは水晶であった。なんだか不思議な気分になり、夜の冷たい空気を胸にいっぱい吸い込んで帰路に就く。  それ以来僕は、この水晶を財布に入れて持ち歩くようにしている。  人生でもう一度行きたい場所を述べるのであれば、僕はフェアリーマーケットと答えるだろう。もしも突然行けたとしたらならば。この水晶で支払って、も う片方の靴を買おう。  そんなことを考えながら夕暮れ時の散歩をすることが日課となったのだった。
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