夕暮れノスタルジックワンダーランド

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うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夕暮れ時、私は今日も川をボートで下りながら昔話をする。 夢中でうさぎを追いかけ迷子になって帰れなくなったこと。 うっかり足を滑らせて池に落っこちてしまったこと。 「おばあさんはずいぶんお転婆だったんですね」 今日の道連れの青年は雨に降られたというのに気にする様子もなく私の話を聞いている。 おかげで綺麗な虹も夕焼けも見ることができたので文句はないのだが。 毎日違う人とボートに乗るが、大抵雨に濡れれば途中で降りることになる。 それで、そうだ、私がお転婆娘であったか否か。 「そうね、そうだったかもしれないわ」 少なくとも、本を読むのが好きだった姉に比べれば、ずっと。 ああ、姉さんは元気だろうか? かわいい飼い猫、ダイナは? ああ、帰りたい。 幼いころはこんな悪い夢、早く覚めてほしいと願っていた。 いつまでたっても目は覚めず、年老いていく自分に恐怖して。 ――だから、何をしてでも起きたかったのだ。 夢は今も巡りて 忘れがたき故郷 「川下りはここでお仕舞よ」 最後まで一緒に川を降りてくれた人は初めてかもしれない。 この人はこの後どうなるのだろうか。 「ありがとうございました。楽しかったです」 青年は笑う。 私と話していて笑ってくれる人は久しぶりに見た。 そもそも見かけからして彼はいつもの人たちとは違っていた。 「そう。あなたの名前、伺ってもよろしいかしら?」 気が付けば聞いていた。 「チャールズと言います、アリスさん」 「私の名前、ご存じだったのね」 とんだ評判でしょうけど。 「実は僕、あなたの研究者なんですよ。資料もいろいろ集めました」 そう言って青年が見せたのは古びたスクラップブックだった。 『トランプ兵大虐殺⁉』 先日の裁判において証人として出廷していたアリス氏が何事か叫んだとたん、突如として警備にあたっていた勇敢なトランプ兵たちが物言わぬ姿へと変貌した。このような無残な殺人は例がなく、原因も不明であることから、女王陛下も死刑宣告こそ出したが扱いを測りかねているという。 『シリアルキラーアリスを許すな!民衆の声を聴け!』 先日の新女王陛下の即位に伴い出された恩赦に抗議のデモが広がっている。問題となっているのはかつて大量のトランプ兵を一瞬で葬り去ったとされるシリアルキラー・アリスをも釈放するという点だ。彼女の犯行は未だ動機も手口もまったく解明されておらず、人々は知らぬ間に次の被害者となる不安に怯えている。 『恐るべき処刑法公布!抗議デモの解決策となるか』 広がり続けるアリス釈放抗議デモに対して、ついに女王陛下より一つの指針が示された。それはアリスに処刑を行わせるというもので先代女王の代名詞と言える斬首刑に代わるものとなる予定だ。役人からは重要な職の一つを失うことへの不満が上がっているが、かねがね好意的に受け止められている。 私はただ相手の見たままを言っただけなのに、それを聞くと相手は言葉を失ってただの物や動物になってしまうのだ。 それに目をつけた新しい女王によって”アリス刑”は始まった。 暗い牢獄から出られるなら何でもいいと、目が覚めるまでの辛抱だと、そう思って引き受けた。 結局いつまでたってもここで毎日川下りをするだけの人生を過ごしている。 今までは明らかに人でない姿だったのですぐ終わったが彼はどこからどう見ても人で最後まで無事に済んでしまった。 「子供のころから、悪いことをすると”アリスに物にされてしまうよ”と言われて育ったんです。成長して興味を持って調べていたら反逆罪でアリス刑にされちゃって。本人に会えると思ったら嬉しいくらいでしたから、あまり罰にはなってませんけどね。物になる感覚も知りたかったし」 彼もまた、変な感覚を持っているようだ。 「そう。でも残念ね。結局あなたは生きているのだから恐怖のアリス刑は味わえなかったじゃない」 自分で言っておいておかしくなりそうだ。 「ええ、残念です。せっかくなので、生きて表に出られればあなたについて本を書いてみようかと思います」 「あら、勝算はあるの?」 長くこの仕事をしてこそいるが、相手がここまで無事に着いたのは初めてなので私にはわからない。 「死刑が執行されて死ななかったら新しい戸籍がもらえるそうなので、今回もそうしてくれないだろうかと期待してます」 「まあ、応援してるわ」 無事に本が出ても、このボート以外で外と接触することを許されない私にはわからないでしょうけど。 ……そう思っていたのに。 1年後、彼は再びやってきた。 今度は新しい本を手にもって。 「聞いてください、アリスさん!生き延びたけど今度は本の内容で不敬罪でアリス刑です!あ、サインください!」 あっけにとられてしまった。 と言うか、彼には意味がなかったのにまたアリス刑だなんて学習能力ないのかしら? 「チャールズさん、元気ね」 そういうと、彼は朗らかに笑って告げた。 「またアリスさんに会えたので。そうそう、今はルイスと言います。本もそっちで出したんです」 ほら、と言って見せられた本の表紙には 『不思議の国のアリス 著:ルイス・キャロル』 と書かれていた。
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