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泣いている。彼女が泣いていた。
夕暮れのリビング。僕たちの食卓、テーブル。いつもの『ママの席』で。
綺麗にスタイリングした長い黒髪の中に顔を隠し、ひたすら俯いて泣いていた。
「美佳子、どうしたんだ」
夕の茜も薄くなり、夜の帳が迫る空が見える部屋。薄暗いままの中、食事の準備もせずに、美佳子がひとりでポツンと座って下を向いたまま。すすり泣いている。
「梨佳は」
「エレクトーン」
「そっか。それで美佳子は……」
尋ねても、彼女はなにも答えなかった。
じゃあ。後で聞くとして今はそっとしておくしかないかな。僕だって今までの日常では見られなかった妻の落胆を目にしてしまったら『なにがあったのか』と心が騒ぐ。それでもここで無理に問いつめてもと思い、ひとまず着替えようと背を向けたのだが。
「……てもいい? 徹平君」
涙声でなにかを聞かれ、僕は振り返る。
「なに、美佳子」
「ごめん、パパ。もう仕事、辞めてもいいかな」
驚き、僕は目を見開いた。
「どうした。なにかあったのか」
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