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暗闇の中にぼうっと赤い炎が浮かび上がる。松明も何もない空間に浮かび上がるそれらは、まるで火の玉のようだ。
人間であるならば、おそらくこれで周りが見えてほっとするだろう。
しかし、闇の生き物である自分たちには、基本的に明かりなど必要がない。そのため、普段は太陽とは無縁の真夜中に居続けているような生活をしている。
そして、飲食を必要としない代わりに、人の欲望や悪意に付け込んで、悪行や罪深いことを重ねるように誘導し、時に人を仲間に引きずり込む。そんな自分たちを、人は悪魔と呼ぶ。
しかし、悪魔と言っても、ひとくくりにまとめるのは人間だけで、自分たちの中には人間界のような階級制度があった。下級、中級、上級と格付けされる中で、下級の中の下級とされているのは夢魔と呼ばれる悪魔だ。
人の欲望の中でも性欲に付け込み、精液などを糧に生きる夢魔は、他の悪魔から貶され、蔑まれるのが常だったが、ジングもまたその例に漏れなかった。
先ほどの火の玉のようなものは、実はただの明かりではなく、人間界から帰って来た時に悪魔が体から発するものだ。
そして、帰って来た集団の中にジングがいたのだが、運悪く近くに上級悪魔のディレルもいたために、早速絡まれた。
「おいジング。また人間界の女一人ものにできずに戻って来たんだって?寝ている間にちょっと啼かせてやればちょろいもんだろ。お前らはそうやってしか生きられないんだからさ」
次期悪魔界の王と噂されるディレルは、目を見張るほどの美貌に醜悪な笑みを浮かべて嘲るように言う。
上級悪魔ともなれば常に美しい姿を保つことができるが、悪魔の本来の姿は醜い。
ジングも下級の中の下級とあって、人間を騙す時こそ相手の好みの姿に変われるが、いつもは目にするのもおぞましいほどの外見をしている。
その差さえも自分の価値を表しているようで、ジングはディレルの顔を見るのさえ嫌だった。
「ディレル、あんたこそこんな下級悪魔めに構っていられるほど暇なのか?金魚の糞のごとく王に付き従った方がよほど有意義だろ。次期王様?」
わざと挑発するようなことを言うと、ディレルはかっと怒りに顔を赤らめ、それに合わせて周りに火が沸き起こった。
「貴様!」
これはまずい、と退散するべく立ち去ろうとしたが、目の前に一人の男が現れて行く手を阻まれる。
咄嗟に膝をついてその男に頭を垂れるジングを見ただろうに、怒りに燃えているディレルは気付かないのか、そのままこちらに火を放って来ようとした。
しかし、その火はジングを燃やし尽くすことなく、現れた男によって瞬時に無に返される。いつもながらに感服するほどの力だ。
「ディレル。お前はまたこんなところで油を売っていたのか」
「こ、これは王様!も、申し訳ありません!」
周りを圧倒するような存在感のある深い声に、ディレルだけでなく周り中の悪魔全てが敬意を表し、膝をついた。
「いつも言っているだろう。いくら階級があるとは言え、それを理由に下の者を馬鹿にし、除け者にするでないと。我らは皆等しく、悪魔の同胞なのだからな」
「は、はい」
ディレルの張りのある声に満足気に頷くと、王であるジェイマーはジングの方に向き直った。
「ところでジング、お前に今一度確認しておきたいのだが、お前は昇級したいと常々言っていたな。しかし、お前は滅多なことでは役割を果たせていない」
「はい」
ジェイマーが言う昇級とは文字通り、下の階級から上の階級にいくことで、最終的には上級悪魔になることだ。
実は悪魔の階級は存在した瞬間に決まるのだが、悪魔としての格はその者が成した業績によって上がることができる。
よって、ジングもまた上の階級に上がるために奮闘していたのだったが、その成績は思わしくなかった。
夢魔のジングには人間を性欲に溺れさせ、堕落させることという果たすべき役割がある。
それを日々着実にこなしていけば、昇級も夢ではない。
しかし、先ほどディレルが馬鹿にした通り、今回もまた失敗してしまった。
その原因ははっきりしている。ジングが夢魔らしくなく、性行為を不得手としているからだ。
決してそれ自体ができないわけではないのだが、テクニックの問題か、未だに滅多なことで成功した試しがない。
突き詰めて考えると、その行為に対する照れがあるせいだと思われるが、分かっていてもどうにかなるものではない。
何故なら、他の夢魔に相談しようにも、誰もジングのような夢魔はいないからだ。
ジェイマーに何かお叱りを受けることを覚悟したジングだったが、彼は考え込む素振りをした後、意外なことを口にした。
「それならば、お前に課題を出そうと思う」
「課題、ですか」
「そうだ。これから私が送り込む人間のところに行って、精液を絞る取るなりなんなりしてお前の虜にし、その者を我ら悪魔の仲間として連れてくることだ。その時は私のところに連れて来い。私がその者を悪魔に変えてやろう。見事達成した暁には、お前を下級から中級に召し上げてやる。だが、失敗した場合は……」
「やります。やらせてください」
ジェイマーの話を最後まで聞く前に、ジングは勢い込んで言っていた。
もう、下級悪魔と蔑まれるのはうんざりだった。この滅多にないチャンスを逃せば、恐らく次はない。
ジングの答えに頷いたジェイマーは、手のひらをジングの方に翳(かざ)した。
その手のひらから光が生まれ、次第に眩いほどの明るさがジングの周囲を包み込んでいく。
光の中に身を投じていくジングの耳に、ジェイマーの声が響いた。
「期限は長くとも一カ月だ。それまでに連れて来い」
それに対して返事をしたが、既にジェイマーどころかあの暗闇の世界は遠退いていた。
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