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 翌日、家族にコーデルの入院する病院を聞き出した後、ジャックスと共に見舞いに来た。  ジャックスは、あの時にちゃんと自分が悪魔祓いをやり遂げていたらこんな惨事は防げたかもしれないと後悔し、詫びを言いたかったのもあるだろう。しかし、それ以上にコーデルの容体が気になっているようだった。  事前に電話で家族に聞いたところ、火事そのものがなかったことになったわけではなく、皆が怪我していること自体は変わっていないようだった。ただ、何故怪我したのかという記憶は曖昧になっていて、一様に不思議がっていた。  そして、コーデルも意識が戻ったらしいが、どこかぼんやりとしていて、すぐに退院できる状態ではないらしい。 「一度悪魔に憑りつかれた人間は、しばらくは放心状態のような感覚から抜け出せないんだ。通常は数日したら元に戻れるんだけど、彼の場合は命も危ぶまれるほどだったから、それだけで済んでいるとも思えない……」  そんな不安を口にしながら病室に向かって歩くジャックスを見て、手を握ったりして安心させたいと思った。  しかし、結局伸ばしかけた手は空中で止まり、そのまま下ろす。その役目は自分ではなく、エレナにあると思ったからだ。 「……っ」  拳を握り、唇を噛みしめて感情を押し殺すと、そのままジャックスの後に続いた。  後ろからついて来ているジングのそんな様子を知らないジャックスは、一つの病室の前で立ち止まる。 「ここだ」  ネームプレートを確認して頷くと、振り返ってこちらを見る。大丈夫だと言うように無理やり笑みをつくって見せると、そのぎこちなさをいいように勘違いしてくれたのか、ジャックスはほっとしたような顔をした。  そして、正面に向き直ってノックし、反応を待つ。やけに長い沈黙が返ってきて、もしかして寝ているかどこかに行っているのかもしれないと思いかけた時、ようやく返答があった。 「……はい。どうぞ」  どこか虚ろに聞こえる声だった。やはりジャックスの言うように、放心状態のようになっているのだろうか。  病室に足を踏み入れると、その予感が当たっていることにすぐに気が付いた。  コーデルは起きてこそいるものの、白いベッドの上に座り込んだまま、こちらを見向きもしないで空中ばかりを見ている。そして、何よりも痛ましいのは、その全身に巻かれた白い包帯だった。  ただ、体の隅々まで巻かれているように見えるが、辛うじて顔にだけはなかった。その上、まるで顔だけを避けたように傷一つない。  それに違和感を覚えながら、ジャックスと共にコーデルに近付くと、開いた風が吹き込んだ。  風の温度は感じないが、真夏は暑く、冷房をつけるものだと知っている。換気でもしているのだろうか。 「コーデルさん、ジャックス・クラークです。僕が分かりますか?」  ジャックスがゆっくりと名乗りながら声を掛けると、コーデルはぼんやりとした顔つきでのろのろとこちらを見た。 「……ああ、あなたは確か……」  ジャックスに会った記憶までは奪われていないらしく、ほんの僅か瞳に光が宿る。  しかし、すぐにコーデルは溜息をつきながら首を振った。 「申し訳ない……。見覚えはあるんだが、……よく、思い出せない」 「そうですか……。無理に思い出されなくて大丈夫ですよ。僕はただ、少しコーデルさんにお聞きしたいことがあって来たんです。もちろん、今からお聞きすることが分からなければ、それで構いません」  容体を確かめるだけが目的だと思っていたジングは、ジャックスが何を言い出すのか分からないが、黙って耳を傾ける。 「分かりました……。何でしょう……?」  コーデルが半ば夢の中にいるようにぼんやりと頷くと、ジャックスは一拍置いた後、問いを口にした。 「あなたは、セキュラという女性を知りませんか?」 「せ……きゅら……?」  コーデルはその名を耳にして呟いた途端、目を見開いた。そして、何かに怯えるようにがたがたと震え出す。 「あ……ああ、あああっ」  そのセキュラという女性に、よほど怖い思いでもしたのかもしれない。しかし、ジャックスが何故その女性のことを尋ねたのか、また、その女性は一体コーデルとどんな関係なのか、まるで分らない。 「コーデルさん、落ち着いてください。すみません、ちょっと刺激が強すぎたみたいですね。今日のところは帰ります」  ジャックスは至って穏やかな声で言うと、ジングに頷いて見せて、先に病室を出た。  その後に続こうとしたところで、一度振り返って病室を見ると、コーデルは未だ頭を抱えて震えていた。  病室を出てしばらく歩き、入り口のところまで来たところで、ジャックスは大きなため息をついた。  ここまで来れば大丈夫だろうとこっそり聞くことにする。ちなみに、外では騒がれることに慣れてきたが、病院内では騒ぎにならないようにと見えなくしているため、ずっと言葉を発しないよう気を付けていた。 「ジャックス、さっきのはどういうことなんだ?」 「ん?」 「セキュラという女のことだ。その女が、コーデルと何の関わりがある?俺は今、分からないことだらけで混乱しているんだ」 「ああ、それは……」  ジャックスは答えかけたところで言葉を区切り、ポケットから携帯電話を取り出した。どうやら誰かからの着信だったらしく、相手を確認すると苦笑いを浮かべた。 「?」  何か厄介な相手なのだろうか。 ジャックスは首を捻るジングを置いて、電話に出て話し始める。 「どうしたの?エレナ」  その名前を耳にして、どくりと心臓が嫌な音を立てた。ぎゅっと唇を噛んで、こちらに背を向けているジャックスを見る。どういう表情で電話をしているのか気になる一方で、絶対に見たくないと思った。 「……え?今から?ごめん、すぐには無理だから、一旦家に帰ってからそっちに行くよ。うん、着いたら連絡する」  その後、二言三言交わして通話を終えたジャックスは、ジングを振り返って申し訳なさそうな顔をする。 「ごめん。話の途中だったけど、エレナが仕事のことで相談したいことがあるらしくて、君を送ったら会って来るよ」  それは、本当に仕事の相談なのか。問いを口にしかけて、寸前で飲みこむと、不自然な間が生まれた。 「………」 「ジング?」  ジャックスの怪訝そうな視線に気が付き、慌てて取り繕う。 「あ、ああ。分かった。というか、俺を送る必要はないぞ。だいたい道筋は分かる。だから、このまま行ってこい」  本当は道筋などまるで覚えていなかったが、透明になってこのままここで待っていてもいいだろう。後で、やっぱり道が分からなかったとでも言えばいいのだ。 「……そう?ジング、何か様子が……」  怪しむように見られたため、背後に周り、その背中をぐいぐいと押した。 「ほらほら、行った行った。エレナが待っているぞ」 「うん……。じゃあ、行ってくるね。ジングも気を付けて帰るんだよ」 「ああ」  気がかりそうに振り返って見られたため、片手を上げて笑って見せると、ジャックスはそのまま背を向けて歩き出した。  ジャックスの姿が道路の向こう側の雑踏に消えるまで見送ると、自分も姿を隠して、病院の門のところに植えられた大木に寄りかかる。  頭上から喧しく聞こえる蝉の音も気にならないほど、深く物思いに沈み込んでいく。  ジャックスを想うようになって、人間界に縛られることで忘れかけていたが、試練の方は自動的に失格ということになるのではないだろうか。  そして、ジャックスとエレナが恋人同士となれば、自分がここに留まる理由はいよいよ何もなくなる。  元々ジャックスは自分に本気なのではなく、単に夢魔らしくなかったのが物珍しかっただけなのだろう。結局、向こうが本気なように見えていたが、そうではなく、本当のところは自分の方が本気になってしまっていたのだ。  そこまで考えて、自嘲気味な笑みが零れた。  そうなれば、自分が解放されるのも時間の問題だ。  このまま悪魔界に帰り、また元のように周り中に貶され、誰からも認められなくなる生活を想像した。そうやって、闇の中で永遠に孤独に生き続けるのだ。  それを思うとぞっとしないが、ここにいたところで何も報われないならば、同じようなものだ。  なんとかジャックスに言って、帰らせてもらおうか。意外とすんなり帰してもらえるかもしれないな。  胸に生じた針に刺されるような痛みを堪え、顔を上げると、ぽつりと滴が頬を打った。  まさか自分の涙ではあるまい、とそれに触れていると、次から次へと滴が降ってくる。やはり涙などではなく、噂に聞く雨粒だった。  雨足が強くなると、いつの間にか蝉の鳴き声は止み、代わりに鉄さびの匂いと雷鳴を運んできた。  悪魔界に戻ったように空はどんよりと曇り、辺りは薄闇に包まれる。  もっとも、悪魔界の闇はこんなものではないのだが、陽の光に慣れてきてしまっていたせいか、やけに不安を誘った。  目を閉じ、耳を塞いでじっと耐え忍び続けること数分か、数時間か経った頃、こちらへ駆けてくる足音が雨音に紛れて響いてきた。 「やっぱりいた。ジング!」  呼び声に目を開けると、透明なビニール傘を差したジャックスが近付いてくるのが見えた。  金色の髪が薄闇の中を照らすように輝いた気がして、その煌めきに不安が一気に拭い去られる。  悪魔が光に救われるのはおかしいなと思い、静かに笑うと、それを勘違いしたのか、ジャックスがむっとした顔をした。 「何笑っているんだよ。なんで道が分からないって素直に言わないんだ。しかもこんな雨の中、ずぶ濡れになって」  ぐいと腕を引かれ、傘の中に引き入れたかと思うと、そのまま抱き締められる。その腕の中にずっといたかったが、すぐに押し退けた。 「平気だ。俺は、俺たちは人間とは違う。寒さや暑さは感じないし、病気はしない。だから……」  心配する必要はないのだと、ジャックスとは違う存在なのだと言いかけたところで、その顔つきを見て口を噤む。  怒りと悲しみがない交ぜになったような複雑な表情をしている。  どうしてそんな顔をするのか分からないのに、自分が酷く悪いことをしたような気にさせられた。  数秒間、気まずい沈黙が流れた後、激しい雨音に掻き消されそうな声でジャックスが呟いた。 「帰ろうか」 「あ、ああ……。ジャックス、エレナは?」 「そっちの用事はもう済んだから。ほら、傘に入って」  促されるままに入ると、ぐいと肩を抱き寄せられたが、それも振り払った。  この腕に抱き締められていいのは、自分ではなくてエレナだと、分かりきったことを何度も頭の中で繰り返す。 「ジング?」 「もうこんなふうに触れたりしないでくれ」  自分でも驚くほど自然に、冷たい声が出ていた。これなら、気付かれることはない。 「どうして?」  ジャックスの震える声が鼓膜を打つ。決心が鈍るから、そんな声を出さないでほしかった。 「俺はもう、ここにはいられない。お前のところにはいたくない」 「答えになってないよ。どうしてそう思うの?」 「お前が嫌いだからだ!」  叫ぶように言うと、言葉の刃が、ジャックスではなく自分の心臓を貫いた。  それでも、極力本当に怒りを込めるように、冷たく聞こえるように努めながら続ける。 「俺を脅してここに縛り付けたかと思えば、今度は戯れに抱いてさ。俺は自分の意思でお前のところにいるわけでも、抱かれているわけでもない。お前に脅されているからだ」  その言葉は本心を隠すために作られたものだったが、事実だけを並び立てると、嘘に聞こえなくなる気がした。確かにジャックスに脅されたのも事実で、抱かれたのも初めは強引にだったからだ。  しかし、本当のところは、今も自分の意思を無視してまでジャックスのところにいるわけではない。  この首についた枷を、ジャックスに愛されている証だと錯覚し、心地よく感じてしまうぐらいには。  でも、そんなのは単なる自分の願望で、現実とは違う。  脳内にエレナとジャックスの姿がちらつき、とても似合いなことを再確認すると、黙り込んでいるジャックスに頼み込んだ。 「お願いだ。もう、解放してくれないか。俺を向こうに返してくれ」  その言葉の裏に、お前とエレナの姿をもう見たくないんだという想いを込めて言うと、本当に願っているように聞こえたに違いない。  そして、ジングの思惑通り、ジャックスはその言葉を鵜呑みにしてくれたようだった。 悲痛な表情をしながらも、引き留めるようなことは口にしない。 「……分かった。君を、解放するよ」 「ジャックス……!」  でも、その代わりとジャックスは続けた。 「最後にもう一度、君に触れたい。君は嫌かもしれないけど、最後だと思って許してほしい」  これが最後だと思えば、嫌だと断ることもできず、了承の意を表してジャックスの手に触れる。握り返されながら、この手の感触を忘れないように心に刻もうとした。  一層激しく降りしきる雨の中、家に辿り着くと、互いに無言のまま濡れそぼった衣服を脱ぎ捨てていく。  これからするのは愛の行為ではなく、別れの儀式のようなものだ。そう言い聞かせると、毎回抱かれる時のような胸の高鳴りはなくなる。  揃って全裸になったところで、ジャックスに腕を引かれるまま浴室へと向かう。  ずっと辛そうな顔をしているジャックスに、悪かった、嘘だ、お前が嫌いなわけがないだろと言いたくて堪らなかったが、言うわけにはいかなかった。  たとえエレナとのことがなかったとしても、悪魔と人間が幸せになれるわけがない。自分が目的を達成するためだけに傍にいるなら、わざわざ別れを切り出す必要などなかったのに。 「んぅ……っ」  浴室に入った途端、食らいつくように激しい口づけが降ってきた。息をつく暇もないほどの荒々しさに、少しは自分と同じ気持ちでいてくれているような気がして、いけないとは分かっていながらも、ほんのり嬉しさが灯る。  しかし、単純に喜んでばかりはいられなかった。 「っ……う、く……」  口付けを止めたタイミングで、ジャックスは何かを堪えるように口元を覆うと、慌てて背中を向けてシャワーのコックを捻った。 「ジャックス?」 「………」  呼びかけにも答えず、ジャックスはシャワーを頭から被り続けている。髪を洗うでもなく、ただひたすらに浴び続ける様子に、心配になって手を伸ばしたが、触れるか触れないかのところで止めた。  肩が、震えている。 「……っ」  込み上げるものがあって、先ほどのジャックスのように口を手で覆うと、頬を一筋の涙が伝った。  だが、ここで自分が泣くわけにはいかない。気付かれてはならない。  ジャックスが背中を向いている間に、溢れてくる感情の濁流を無理やりせき止め、拳を強く握りしめた。  そうして数分が経過した後、ようやくジャックスはシャワーを止めて振り返る。  顔を見られまいとするように、目元を濡れた前髪で覆ったまま、ジングの体に手を伸ばして、じっくりと味わうように触れ始めた。 「あっ、あっ……」  ジャックスの指、ジャックスの息遣い、全てを忘れまいとすればするほど、深い悲しみに襲われた。それなのに、浅ましいこの体は貪欲に快楽を追い求めてばかりいる。  それが人間ではない証のようで悔しくて堪らないのに、喘ぐ声は、ペニスから零れる精は止まることをしらない。  相反する心と体に悲鳴を上げるように、とうとう一筋の涙がつうと伝い落ちた。 「ジング?ごめん、痛かった?」  内壁を掻き回していた指を止め、気遣わし気にジャックスが聞いてくる。  その目には辛うじて涙の跡はなかったが、ジングと同じように絶望の底を映していた。 でも、同じであってはならない。できるだけ冷たく突き放し、嫌われた方がいいのだ。それがジャックスのためになる。 「痛みは感じない。お前とは違うと言っただろ。早く済ませてくれ。俺は早くあっちに帰りたいんだからな」  心にもないことを、表情を殺して吐き捨てるように言う。  ジャックスの顔を見ていられなかったが、逸らしたら真実味がなくなるだろうと、敢えて真っ直ぐ見るように努めた。 「っ、君は……」 「ぁあっ……」  初めてジャックスの瞳に怒りの色が灯り、いきなり後孔を貫かれる。 「あ、あっ……ひっ」  今までにないほど激しく、強く突かれ、ごりっと音がするほど中を深く抉っては、浅い場所に引くことを繰り返される。  底なしの快感に目が眩み、幾度となく白濁を放つと、それを見たジャックスが咎めるように言った。 「君は嫌いな相手にもこんなに乱れるんだね。とんだ淫乱だ」 「む、……ま、だから……っ、ああっ」 「また、そんな言い方を。許せない。僕は、こんなにも……っ」  続く言葉は、快楽に飲み込まれたジングには届かなかった。  ただひたすらに、苦しい痛みばかりが消えずに刻み込まれた。  事後の独特な余韻がいつになく重苦しく、ゆっくり寛ぐこともないままに、それぞれが衣類を整える。  沈黙ばかりが横たわり、漂う空気に肌を割かれそうな気がした。 「ジャックス」 こちらに背を向けたままのジャックスにそっと呼びかけると、静かな声が返ってくる。 「首を確かめてごらん。もう、帰れるはずだから」  声に従って首に触れると、そこにあのつるりとした感触はなく、自分の肌だけがあった。枷を外されたはずが、逆に体が重くなったような錯覚を覚える。 「ジャックス……」  改めて呼びかけたが、彼は振り返ろうとはしない。返事もしない。  その背中から目を逸らし、悪魔界に通じる空間のようなものを開いて中に足を踏み入れると、次第に人間界から遠ざかっていく。  完全に人間界が見えなくなる間際に振り向くと、歪んだ空間の向こうでジャックスがこちらをじっと見ていた気がした。
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