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旅人は絶句した。なぜなら、そこには地獄絵図が広がっていたからだ。
頭巾を被るという行為はすなわち、汚いものに蓋をすること。旅人の目に飛び込んできたのは、村人たちが繰り広げる犯罪行為。暴力、窃盗、陵辱などの数々。宿の中には聞こえてこなかった怒声や悲鳴が村を覆い尽くしていた。
商店に押し入り物を盗む者。公共物を破壊する者。意味なく人を殴りつける者。路上に押し倒し強姦する者。
そして、男女の色情も乱れていた。雑貨屋の店主と、喫茶店の娘が草むらで抱き合い、行為に耽っている。
旅人は身動きすらできず、その場に立ち尽くした。やがて、胃の中から逆流してくるものを感じ、慌てて口を塞ぐ。身に危険を感じた旅人は、逃げ去るように宿へと帰還した。
信じがたいのは、それだけじゃない。凄惨な悪事を働いた村人たちは、次の日、互いに顔を合わせると、何事もなかったかのように穏やかに生活しているのだ。
殴り合った者たちが笑顔で雑談する。売り物を盗まれた店主が、犯人と思しき者と談笑する。クラスメイトから陵辱を受けた女子は、表情ひとつ変えずに登校する。
最初はその光景に強烈な違和感を覚えたが、数週間もすると次第に慣れはじめた。
人間にはキレイな面もあれば汚れた部分もある。対外的には外面だけで付き合っているが、仮面を剥げばまるで別人。誰しもケダモノのような一面を持っているだろうし、それを解放できることは、人間にとっていいことなのかもしれない。
そんな哲学めいた感情すらも芽生えてきた。そして、それは思考だけに留まらず、旅人の欲望にまで触手を伸ばした。
「よし。そろそろ日が沈む」
窓の外に目をやった旅人は、意を決したように呟いた。そして、頭巾を被る。
旅人は宿から出ると、隣家の玄関を目指した。
村人と同じように、自分も魂を解放したい。そう望んだ旅人は、手始めに窃盗から試してみることにした。
隣家の玄関ドアを静かに開くと、そこには高そうな靴が並んでいる。高まる緊張感。汗ばむ手のひら。旅人は腰を屈め、そのうちの一足を掴んだ。
ふと顔をあげると、毎朝挨拶を交わす仲の老婆と目が合った。罪悪感が押し寄せたが――俺は頭巾を被ってるんだぞ――という事実が、旅人の背中を押す。「ざまあみろ!」と、老婆に暴言を浴びせかけ、隣家を後にした。
激しく乱れる呼吸をなんとか落ち着かせ、旅人は叫んだ。
「気持ちいい!」
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