未確認世界(5)

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未確認世界(5)

 見角棗、彼女からの届け物だった。  怖かった。  とても開けられなかった。  中身が何だったとしても、今日この荷物が届いたことが偶然だったとしても、棗ちゃんが何を知っていて何を私に教えてくれるのか、この荷物の中身がそれを表していたとしても、私にはそんな勇気あるはずない。  私はその荷物を玄関のキャビネットにそっと仕舞(しま)った。 「頭痛い」  風邪ひいたかな。  手も足も冷たくなってて寒気(さむけ)までした。キッチンで牛乳をレンチンして甘いホットミルクにしてベッドまで運ぶ。部屋も暖かくして布団に(もぐ)り込んだ。 『私、地獄に落ちたかと思ったよ』 『と思ったら、天国だったでしょ』  夢の中の棗ちゃんは、あのままの彼女だった。今度は本当に地獄に落ちたのかも……棗ちゃん。と思ったら……天国なんてこと、なかったよ。  眠っていれば、寂しさや悲しさから少し逃げられるように思えた。  深く眠りたかった。  誰かに抱っこされて眠りたかった。 『あなた誰?』 『君は私を知ってるだろう?』 『知らないよ』 『すぐに分かるだろう』 『すぐって何?』 『まあいいだろう』  また変な夢……。  部屋の窓の外はもう暗くなってた。 「あ、梓ちゃん、起きたのね」 「ママ……」 「おう、梓、起床(きしょう)して微妙(びみょう)か?」 「パパ……」  私は聞かなきゃならなかった。 「私のおばあちゃんは、私のせいで死んだの?」  時間が止まったみたいだった。  パパもママも、時間が止まった世界の登場人物みたいになった。  だけど時計は動いているし、暖房から出た温風はカーテンを揺らして、キッチンからは湯気が上がってる。  そしたらパパのスマホがメール着信を知らせる。  それと同時にママが火にかけてた鍋が()(こぼ)れた。  私には、ふたりが固まってしまう理由(わけ)も、(あわ)ててしまう意味も全然よく分かる。  だけどもう逃げない。  逃げられない。  大切なことを知らないまま、この先の人生を過ごすなんて絶対ヤダ。  もう嫌なことや、辛いことから逃げない。  時が止まったように感じていたわずかな数秒間、私の頭の中をいっぱいの出来事が(めぐ)った。  あの時、子どもの私はママとパパとおばあちゃんでキャンプに来てた。  私は眠たくなって、おばあちゃんに抱っこされて眠ってた。  おばあちゃんは目を開けた私に、まだ眠いかと聞く。  そして竹の子を採って戻ってきたパパたちは、やっと目を覚ました私とおばあちゃんを誘ってアスレチックに向かう。  川を渡るアーチ型の石の橋。  私の手にはジバニャンのボール。  瑠璃色(るりいろ)の蝶を見たがった私が、落としたボールを拾おうとして、川に落ちる。  橋は低めだったけど、水は透き通った深い川だった。流れも早かった。  私を抱き上げて、岩に載せたあと……おばあちゃんは……。 「梓……、お、思い出したのか……」  パパの顔は見たことのないクシャクシャな表情だった。 「梓ちゃん、本当なの?」  ママの顔もどんな気持ちなのか分からない表情になってる。 「パパ、ママ、そうなんでしょ?!」 「ねえ!!」 「どうして何も言わないの?!まだ隠すの?!ずっと隠してきたんでしょ?!私を(だま)してきたんでしょ?!」  私の中の感情冷却庫(かんじょうれいきゃくこ)はもうその機能を発揮できなくなってた。ドンドンと熱は高まり、外に()れ出して湯気が上がる。すでに配線はショート、扉はガコガコと振動して、鍵も壊れてしまった。 「私がおばあちゃんを殺したんでしょ!!」  絶対に言っちゃダメなことだって分かってた。  もしそうだとしても、こんな野蛮(やばん)で下品な言い方。  私はついに自分が今まで守ってきた、壊れやすくて崩れやすい砂糖菓子みたいな自分の心まで一緒に叩き壊すような言い方をした。 「ごめんね、梓ちゃん」  ママを泣かせてしまった。 「梓、ああ、本当にすまなかった」  パパは床に()()して(ひたい)(こす)りつけた。  こんなことして欲しいからじゃない。  こんな結果、望んでない。  知りたかっただけ。  どうして私は生きてるのか、どうしておばあちゃんは亡くなったのか、それだけが知りたかった。もっと早く教えてほしかった。両親の口から直接、聞きたかった。  それだけだったのに。  なのに私の口から吐き出された感情は、自分が裏切りにあったかのような怒りの爆発と、本当のことを教えられぬまま、のうのうと生きてきた自分への両親からの疎外感が哀しくて、感情の全部をそのまま二人にぶつけてしまった。  それでも、自分も両親もこんなにズタズタにしても、まだ針のような感情は降り止まなかった。 「どうしてなの?」 「泣いてちゃ分かんないよ!」 「謝られても分かんないよ!」 「私が何も感じずに笑ってて、黙って見てられたの?」 「そんな娘に、なんで冗談が言えるの?」 「私はずっとこの先も家族に気を遣われ続けて生きなきゃならないの?」 「御墓参りはしないの?おばあちゃんの仏壇はないの?おばあちゃんはどこに供養されてるの?」  パパがゆっくりと少しずつ起きて、ママを見た。  ママは涙でグシャグシャになった顔で、口を結んで唇を噛んだ。  パパの表情が優しくなって、私に少し近付いて言った。 「梓、あのね……」  えっ?なに? 「梓のおばあちゃんは、(おぼ)れた梓を助けてから、急流にのまれて亡くなってしまったんだ」 「うん」 「おばあちゃんが亡くなって、パパもママも梓にゆっくりそのことを少しずつ説明しようと思ったんだ」 「うん」 「でもね、その話を始めると梓はすぐに気を失ってしまって、丸一日ほど戻らないこともあった」 「えっ?!」 「どの医者も、そのことをストレス性の神経調節性失神だとか反射性失神だと片付けたんだ」 「失神って……」 「だからパパとママから話すことは出来ないと思った。梓が成長して大人になれば、そのストレスとも向き合える状態になると聞いてたんだ」 「そう、なんだ……」 「おばあちゃんのこと、思い出して気を失ったりしなかったのか?」  私は山麓(さんろく)ででしばらく寝てた、とは言えなかった。黙って首を横に振る。 「おばあちゃんの仏壇はちゃんとあるし、御墓参りもしてる。いつか梓にちゃんと説明できる日が来るって思ってた」 「そっか、ごめんなさい、私……」 「それに」 「ん?」 「おばあちゃんが梓に(のこ)した物も、ちゃんと言わなきゃだよな」  私の呼吸が早まった。
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