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「ぱちん!」
木曜日のオフィス。私達の島だけに明かりが点る人けのないオフィスに肌と肌がぶつかる音が響いた。人にビンタするのは初めてだ。
「・・・悪い、仕方なかったんだ。」
残業を終え帰ろうとした私を呼び止めた大嫌いな先輩。彼はあろうことか私の唇に口づけたのだ。かなりの早業だった。さすが遊び人。
「~~~っ!!」
驚きと怒りで声が出ない。とにかく唇を手の甲でこすりながらトイレに走って洗面台で唇がとれそうになるまで洗った。
トイレを出るとそこに彼はいた。入社4年目の私より2年先輩の鈴木 明日先輩。鈴木さんは何人かいるので下の名前で呼んでいる。多くの女性を魅了しているらしいその整いきった顔を思いきり睨み付ける。
「セクハラで訴えますからね!」
そう言ってつかつかと通り過ぎようとする私の腕を明日先輩は掴んだ。嫌悪感でぞわぞわする。
「何す・・・。」
「本当に申し訳なかった!頼むから俺の話を聞いてくれ。」
頭が床につく勢いで謝罪される。こんな先輩は見たことがない。普段は自己肯定感の権化のようなキャラなのだ。
───え、何?明日先輩って二重人格?または双子が交代で出社してた?ってそんなの漫画の中だけだよね。
かなりの時間が経っても先輩が顔を上げなかったので、頭に血がのぼってしまうのではないかと心配になってきた。
「・・・わかりました。コーヒー奢ってくださいね。プレミアムのやつ。」
根負けしてそう言うと先輩は顔を上げた。いつもうっとおしいくらい自信満々な彼の弱々しい表情は『情に熱い』とよく言われる私の心をツンツンと引っ張った。
───こうして私はまた面倒なことに首を突っ込むことになったのだ。
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